僕が鬼滅の刃が嫌いな理由
僕は鬼滅の刃が嫌いだ。ちなみにアニメから入った口だ。
何故なら、その理由を語ってみよう。
まず、キャラクターが気持ち悪い。
とても抽象的な表現だが、どうにも気持ちが悪くなる。
まず、主人公の竈門炭治郎の心模様が気持ち悪い。
何故気持ち悪いのかというと、多分わからないからだと思う。
それもわからなさが納得のいく分からなさではなく、そこはそうならないだろ、と思うのに何らそこを問題視せず話が進んでしまうところ、つまり作者の意図が見えるからだ。
彼の悲劇が始まった時、彼の家族は人間の敵である鬼に皆殺しにされた。
その上で、彼の妹である竈門禰豆子が鬼の血を貰い受け、彼女も鬼となる、その妹を鬼から人間に戻すというストーリーだ。
よくわからないことがある。
まだ息のある禰豆子の傷を医者に診せようと炭治郎は背負いながら雪山を疾走する。
その中で、富岡義勇という鬼を狩ることを生業としている侍に、妹はいずれその子は人の肉を食らって生きる鬼になってしまうから、この場で殺すと言われる。
この時の炭治郎の心情が分からない。禰豆子は大丈夫だ!この子は人を食う鬼にはならない!と言って彼は富岡義勇を説得するのだが、そこに何ら説得力がない。
にも関わらず、彼はそんな子供のような願いを言う歳でもないし、そんなことで鬼を狩ることを仕事としている人に、なんでわかってもらえると思ったのか。
それに加え、富岡義勇も何故だか炭治郎の熱意に負けて、おん…そんなにゆうなら大丈夫かもな、と剣を納めてしまう。
あれれぇ~、おっかしいなぁと思ってしまうのですよ。
ストーリーを進めるうえでそこの矛盾を作者と編集が目を瞑って勢いに任せたのだと、僕は思ってしまうんだなぁ。
ただ、この違和感こそが鬼滅の刃の魅力なのかもしれない。
どうしようもない違和感がこれまでのジャンプになかった勢いというものだと思いもするのである。
まさに現代の作家、漫画を読んで漫画を描いた筋の漫画家だと、僕は思います。
それから炭治郎は、相手の匂いから感情の波を嗅ぎ分けて、心を見透かしてしまう。
この辺に僕はすごい嫉妬心があります。
あ、それやりたかった設定!と思ってしまったのもあるし、それを表現してかつ竈門炭治郎という拙いキャラクターにとてもよく似合っていたところに、とても嫉妬心を感じました。
それと、キャラクターが思っていることを全部口に出して説明するというのもどうかと思います。
そこまで読者って頭悪くなってたっけと思わせるくらい、戦闘中であろうと事あるごとにセリフという名の説明が入るところもとても気持ちが悪いです。
そんな中、気持ち悪いキャラの中で、竈門禰豆子と恋柱は別格に可愛い。
そういう好きと嫌いが混ざっている稀有な漫画として、早く全部アニメ化してくれないかなぁと思っている作品でもあります。
もしかしたら、全部見た時に総評をしたくなる作品かも知れません。
Ufotableもしてやったり感がキモイよなぁ。
原作を見た時に、これうちらがやったら絶対売れるわニチャァって姿が見えるようで、それも気持ちが悪いです。
鬼の異常性とか無惨さまのことも書きたいですが、原作未読組としては、憶測から語るべきではないでしょう。
貴重な高作画クソアニメとして、次回作を楽しみに待つ今日この頃。