柳 真佐域ブログ

好きなものを好きなだけ語るのだ

僕の病気について~発症までの経緯~

今日は僕が患っている統合失調症の経緯ついて話そうと思う。

 

僕は7年前統合失調症を患った。

 

原因は、過度のストレスが体にかかり、心と体が限界を超えてしまったからだ。

 

詳細を話すと、その当時僕は、四つの(多いな)ストレスの種があった。

 

一つは仕事。

 

高校を卒業したら東京に出て、ファッションの専門学校に通って、アパレル業界で生きていこうと夢見ていた僕だったが、

 

そんな金など出せるかと、家族に反対され、夢を断念し、担任の教師が勧める地元の工場に勤務し、夢の為に資金を貯めていた。

 

だが、現実的に考えて、若い(或いは幼い)頃からアパレル業界に夢見て僕より本気で目指している人など、星の数ほどいる中で、

 

20の盛りを超えて尚、貯めた資金で学校に通って、その間の生活費もバイトで賄って、更に東京と言う見知らぬ土地でやっていけるか、僕は不安になった。

 

結果、夢のために資金を貯めているのだという、言い訳が消えうせ、何の面白みのない毎日単調な作業を繰り返すだけの工場での日々だけが残った。

 

当時、高卒からの就職だったわけだが、僕は高校では孤立をしていた。つまりぼっちだ。

 

友達など誰一人いなく、自分の思いの丈を発散することも出来ず、人と人とのコミュニケーションの仕方も忘れ、会社でもそれは変わらなかった。

 

つまらない仕事、分かり合いたいという欲望、心はカラカラに乾いていた。

 

その後、勇気を振り絞って、高校の頃、唯一接点のあった席の近かったモリワキに連絡を取って、僕はやっと一人でなくなった。

 

まぁこれが病気を発症させるストレスの種になることも知らず、その時は(今もだけど)孤独にならずに済んで、何よりうれしかった。

 

ストレス2は友達。

 

連絡を取り合うようになったモリワキと僕は、お互いに共通点があった。

 

それは、アニメだった。

 

モリワキが元からアニメ好きだったかは知らないが、当時僕は深夜に見た『瀬戸の花嫁』というアニメに心を救われた。

 

アニメを見るのは中学の時に卒業したのだったが、家族の寝静まった後に、暗いリビングで音を最小限にして観た久しぶりのアニメは面白かった。涙が出るほど面白かった。

 

それをきっかけに僕は深夜アニメの存在を知ることとなり、それからは貪るように、アニメを見た。

 

丁度その頃、モリワキにもアニメを見るきっかけがあった。それがリョウ君の存在である。

 

以前、僕には悪人の(ような)友人がいるとブログに書いた。

 

その悪人がリョウ君である。

 

アニメの共通点が出来た三人は、一度会うことを決めた。

 

確か、宇都宮のアニメイトメイドカフェ(喫茶じゃない)に行く約束だったと思う。

 

リョウ君はけいおんの澪にラッピングされた痛車で迎えに来た。

 

一瞬ギョッとしてしまったが、車内では、どんなアニメを見ると聞かれて、ガンダムとかグレンラガンが好きだと言ったのを覚えている。

 

リョウ君はその時、エヴァについて熱く語ったと思った。

 

その時は気づかなかったが、モリワキは僕がモリワキにアニメの知識でマウントを取っていたのが気に食わなく、

 

リョウ君を紹介することで、僕に「お前の知識なんて大したことないんだよ」と伝えたかったのだと思う。

 

その目論見は見事的中し、アニメの知識に造詣があると思っていた僕も、舌を巻くほどにリョウ君はアニメに詳しかった。

 

そうして出会った三人は、意気投合し、当時放送が始まったばかりの『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の聖地巡礼をしようと約束した。

 

それからは楽しかった。

 

聖地アニメがやるたびに、次はここへ行こう!こっちのアニメもいい!とアニメ談議を交わしながら、青春を謳歌した。

 

しかし、これが大きな引き金になっていることを僕は知らなかった。

 

ストレス3、地域活動。

 

私生活が充実してきた頃、仕事は相変わらずつまらなく、僕は新しい刺激を欲しがっていた。

 

その時見つけたのが、成人式の実行委員会だった。

 

たまたま母校を訪れた際に、昔の担任から実行委員会の勧めを貰ったのをきっかけに、僕の地域活動は始まった。

 

僕の地元の成人式は、その年の19歳と20歳、つまり二十歳を迎える成人が、各学校の代表と集い、成人式を運営していた。

 

僕はその時、初めて多人数で何かを作るという活動に参加した。

 

結果から言うと、19歳で参加した成人式は、まとまりもなくやる気もなく、全く面白みを感じなかった。

 

それでも、自分たちの成人式はそうなりたくないという思いが芽生え、翌年も実行委員に立候補して、しかも代表の座を獲得した。

 

自分たちで作る実行委員会と成人式は楽しかった。

 

まぁ、昨年の悪いところを今風にし直すだけなので、手間はかかったが、簡単にリニューアル出来た。

 

しかし、その頃に着いた癖が、僕を苦しめることになる。

 

成人式実行委員会を終えた僕は、また手持ち無沙汰になって、退屈な日常に戻ると思いきや、ある団体からの地域活動の誘いがあった。

 

その団体の名は、『WAKEISHI』といい、鹿沼市出身の若い世代が集まって、鹿沼を盛り上げようというNPO(最近知った)団体だ。

 

活動内容は、鹿ちゃんペーパーなるフリーペーパーを、(確か)各月発行し、地域の人と協力をしてイベントを行うというものだった。

 

なので、二十歳を迎えたばかりの若者に声をかけ、会員になってくれないかということだった。

 

僕は願ってもないことだったので、入会を即断した。

 

特に会費などもなかったし、東京に出ず、地域の活動に参加したことから、地元が好きになり始めていた。

 

その時の活動はすっ飛ばすとして、二年後僕は副会長の座に居座ることに成功した。

 

そこでは、会則を作ったり、WAKEISHI初の大きなイベントを主催するなど、精力的に活動を行った。

 

だがその時、ストレスの元となる会長との喧嘩が勃発した。

 

当時は、常識的考えてあり得ない要求をする会長に、僕は会員(後輩)を守るために、罵詈雑言を言って、会長を詰った。

 

実際この時から、病気は始まっていたのかもしれない。

 

結局、仲たがいする形で、僕はWAKEISHIを辞めた。

 

僕は、また目標を見失ってしまったのである。

 

ストレス4、彼女。

 

今までの活動と並行して、僕は恋愛にも活動的だった。

 

確かフェイスブックで知り合った同級生と、それもまたアニメ好きという共通点から仲良くなって、付き合うことに成功した。

 

地域活動が出来なくなった僕は、今度は友達との聖地巡礼の活動をもっと盛り上げていきたいと思っていた。

 

そして、地獄が始まる。

 

それは、アニメ好きを共通点とした僕たちのグループ『ラクタリウスインディゴ』と、僕の彼女、リョウ君の彼女を連れての、鴨川(輪廻のラグランジェ)へ初日の出+聖地巡礼をする計画だった。

 

長くなっているので掻い摘むが、要は僕が彼女を優先するあまり、グループを蔑ろにして、リョウ君とモリワキを怒らせてしまったのである。

 

初日の出を見て、綺麗だったね~と言っている最中、ちょっと話があるとリョウ君に言われ、1時間以上(体感にしたら10時間くらい)ファミレスで説教をされた。

 

僕は、付き合いたての彼女の前で恥をかかされて、お前たちとはもうやってられないと、自分の車でその場から帰った。

 

またも居場所を失った僕は、失意の中、さらにどん底まで突き落とされる。

 

もう彼女しか拠り所がないと思い、この娘だけは大事にしていこうと思った矢先だった。

 

彼女から別れを告げられたのだ。

 

目の前が真っ暗になった。

 

そして、僕は壊れた。

 

ストレスが過度にかかっていく中、だんだんと不眠気味になっていたのも原因だろう。

 

僕は統合失調症を発症した。

 

人間死ぬ気になったら死んでしまうと、こないだTwitterで動画を見たが、確かにそうだ。

 

僕は精神病院の牢獄のような隔離病棟の中で、はっきりと死を感じた。

 

追い詰めれば、人というのは壊れてしまう。

 

しかも一回壊れると、それは元には戻らない。

 

病気をしても良いことはあると、前のブログにも書いたことはあるが、壊れるまで突っ走ってしまうのは、確かに異常なことだ。

 

僕はこの文を自分のために書いているし、この文があるから何かが変わるとも思っていない。

 

ただ読んだ人の胸に少しでも残るものがあれば、幸いだと思う。

 

長々と書いてしまったが、言いたいことは一つ。やり過ぎはなんでもダメ。

 

自分のキャパを超えることをやって、自分の限界値を引き延ばすという方法もあるが、それには命がけと言うリスクを伴う。

 

本当にその価値があるのか、やっているうちは熱中していてわからないものだ。

 

楽しいこと、嬉しいこと、辛いこともほどほどに、今は僅かしかない自分の活動力に、鞭は決して打たず、いつでも余力をもって日々を過ごすように心がけている。

 

最近、閲覧数が伸びているので、思いの丈を書きすぎてしまった。

 

ここまで読んでくれたあなた。ありがとうございます。拙文に付き合ってくれて感謝しかありません。

 

では、また思いついた時にでも記します。