柳 真佐域ブログ

好きなものを好きなだけ語るのだ

涙について

 

あなたは人生で何度号泣したことがありますか。

 

僕は、飼っていた犬のチョコが死んだ時と、服飾の専門学校に行きたいと家族に話して猛反対を貰った時と、その時最愛だった彼女にフラれ、精神が崩壊して病気が発症した時です。

 

飼っていたシベリアンハスキーのチョコは、たしかおもちゃのまちにあるわんぱく公園に行った時、二匹の子犬が段ボールに入れられ捨てられていたので拾ってきた。

 

チョコは片目が黒いオッドアイだった。僕がオッドアイが苦手なのも見ると思わずチョコを思い出してしまうからかもしれない。

 

チョコは女の子だったが、さすがはロシアの犬、力がとても強かった。

 

小学生の僕はいつも引きずられるようにして散歩をしていた。

 

手はズタズタに裂け、着けていった手袋が血に染まることもあり、僕はだんだんとチョコが嫌いになった。

 

外につないでいても、普通のプラスチックの小屋と鎖ではままならず、次第に冊のある檻のよう小屋で飼うようになった。

 

犬を飼うときは何故か僕の弟として飼われることが多く、チョコの世話は僕の担当になっていたが、手に負えないこともあり、チョコは家族から徐々に手に余る存在になっていった。

 

当時、両親は共働きだったので、散歩に行く時間も作れず、家族は初めてペットを飼う大変さを感じていた。

 

狡いことに子犬の内は可愛がるのだ。後に僕が不良になってから更生させる目的で飼ったカルビを内に迎えた時もそうだった。

 

子犬の内は炬燵に入れて可愛がったり、僕のためを思って飼ってきたのに名前をつけさせてくれなかった。

 

しかも、カルビは、カルビを貰いに行った帰り道でみた焼き肉屋の看板を父が見て、カルビと名付けたのだった。

 

その上、父は何が楽しいのかわからないが、カルビをカビルと呼んで、混乱させていて、しかも、今では虐待でニュースになるような、殴る蹴るを家族で散歩している時にやっていて、ドン引きしたのを覚えている。

 

まぁいい。チョコの話だ。

 

チョコはだんだん敬遠される存在になっていき、なかなか散歩にもいかず、ブラッシングなんてかけてあげたりもしなかった。

 

そんなチョコが、マダニに侵されたのだ。

 

両親が学がなかったからなのだろうか、薬をつけていなかった。

 

チョコの足には、血を吸って五円大に膨らんだマダニが幾つも幾つもついていた。

 

マダニを取る時、チョコの足には血が滲み、チョコの血を吸って膨らんだマダニを地面に踏みつけると、赤黒いチョコの血がこびり付いた。

 

チョコはだんだん元気がなくなり、ついに立っていられなくなった。

 

庭にある竜のひげの上に寝かしながら、僕は一階にある両親の寝室で夜を明かした。

 

その時、枕をずっと濡らし、眠った時、チョコと散歩する夢を見て、目が覚めるとチョコは息を引き取っていた。

 

あんなに悲しい思いをしたことは無かった。自分が無力でもっと可愛がってやればよかったという後悔が胸を満たした。

 

僕はその後、『死という壁』という作文を書く。その内容は小学生の時に亡くなったチョコとおばあちゃんの死について書いた。

 

その作文は、国語の担当だった担任に、良く書けているから賞に応募してもいいか?と訊かれ、それが今、文章を書く時の自信の源になっている。

 

第二の号泣。夢を断念した時。

 

僕は、兄弟の中で勉強も苦手で、中学のときには不良まがいのことをしていたし、比較的好き勝手やってきた方だ。

 

そんな僕が、ファッションが好きになった。

 

中学生の頃、僕の学年はファッションに湧いていた。

 

オリオン通りの奥にある、ユニオン通りに古着屋が軒並み乱立していて、そこに行って買いものをするのがステータスになっていた。

 

買い物をした証拠に、古着屋の包みであるビニールの袋を学校の物入れに使うことがカッコいいとされていた。

 

中でもオリオン通りにあったSTUSSYの紙袋を持っている奴はクラスでも花形になれた。

 

僕はというと、父がNTTで働いていたし、母も共働きしていたので、そんなことは無いと思うのだが、耳にタコが出来るほど、

 

「うちにはお金がないから」と言い聞かされ、小遣いも人並み以下だったので、そういう物は憧れになっていた。

 

しかもうちはミーハーが嫌いだったから、真似もさせてもらえなかったのもあり、お金があったらファッションに金が使えるのにな~と思っていた。

 

そんな時、高校生の僕はバイトを始めた。バイトは楽しかった。働くことも楽しかったし、楽しいのにお金がもらえたのだ。

 

それも自分じゃ使い切れないほどのマネー!なんという幸せ!

 

僕はファッションに夢中になった。それでも知識はないから、自分の欲しいと思った服を、(まだあった)STUSSYの上位に位置するPARCOにまで進出し、買い漁った。

 

当時はやっていたお兄系に毒されていたのは恥ずかしい過去だ。

 

そんなこともあり、僕は次第にこの世界で生きていくんだと思うようになった。

 

そして、進路を決める時期になって、担任が家庭科の教師だったこともあり、服飾の専門学校に進むことを決意した。

 

調べてみると、マーチャンダイザーというフロア全体を指揮する一等目立った花形の職業があることを知り、それを目指すことにした。

 

それまでやりたいことなどなかったのに、生まれ始めて自分のやりたいことが見つかったことで心は舞い上がっていた。

 

家族に話し、やっとやりたいことを見つけられたんだねと褒められると思ったのに、家族の反応はその真逆だった。

 

いきなりそんなこと言われても、うちにはそんなお金はない。ファッションなんかに払える金も、東京に行って一人暮らしさせる余裕もないんだから。

 

今まで好き勝手やってきたのに、その先の面倒なんか見れない。と言われた。

 

僕は目の前が真っ暗になった。そして家を裸足のまま飛び出した。

 

そして泣いて泣いて泣いて、近所の立体交差の歩道にある階段で泣きはらした。

 

家族は本当にやりたいことを応援してくれる存在ではない。

 

今となれば、皆個々人の生活もあるし、それまでやってきた功績から判断するのもわかる。

 

それでも、その時の僕は、その決定が全てだと思って心を閉ざした。

 

結局、担任の勧めで栃木にある工場に勤務することになるのだが、その間も絶望しかなかった。

 

暗黒期と言っていいだろう。僕は家族から離れるように一人暮らしを始めることになる。

 

第三の号泣。彼女との別れ。

 

一人暮らしをするようになって、僕は友達との交友関係に精力的に取り組むようになった。

 

その際、主にアニメに関わることで、交友関係を築いていった。

 

そうして出会った、その彼女は部屋にアニメフィギュアを飾るほどのアニメオタクだったが、持田香織のようなとても自分では手に負えないほどに綺麗な女だった。

 

髪は腰より長く、体系は守ってあげたくなるくらい華奢で、保育士をしながら、一人暮らしをしていた。

 

彼女は中学生の時の同じクラスメイトだった。当時から可愛いとは思っていたが、自分には関係ない人だろうなと思っていたが、Facebookを通じて交流を持ち、初めてのデートはまどマギの一作目の映画だったと思う。

 

僕は当時、地域活性化活動をしていたが、前のブログで書いたが、諸事情により辞めることになり、手持ち無沙汰なっていた時だった。

 

意を決し告白したら、見事OKを貰い、僕たちは付き合うことになった。

 

僕は彼女を愛することを第一に考え、彼女のために尽くす日々が始まった。

 

その時、友達との聖地巡礼にも励んでいたが、僕の心は彼女にしかなかった。

 

よって友達を蔑ろにしたのである。友達からは巡礼先で説教をされ、酷く怒られた。

 

そんな姿を彼女も見ていて、僕と彼女の間に歪みが生まれた。

 

その間、彼女が吸っているタバコについて苦言をした。

 

それでも、僕は彼女の健康のためと思っての行動だったが、彼女は違ったらしい。

 

僕は突然別れを告げられた。そうして僕はまた全てを失って目の前が真っ暗になった。

 

そうして病気を発病した。

 

彼女にlineで前に行く約束をした上野動物園で待っていると言い残し、僕は夜も眠らず、東京で一夜を明かし、朝から上野動物園の入り口の近くのベンチに座り、彼女を待っていた。

 

その時、もう統合失調症を発病して、世界のことが自分の手に取るようにわかった気がしていた。

 

全ての人が自分に好意的に接している気分がして、全て者に対して優しくなっていた。

 

何か開けた感じがした。そうして、待っていても彼女は来ない。

 

何で来ないんだろう。その理由がわからなかったが僕は待っていた。

 

上野動物園は晴れていて、ハトが何羽もいて心地よい日よりだった。

 

そんな時、幼稚園の園児たちの集団が、動物園に入園しようと群がってた。

 

その中の一人が、僕のことをチラチラ見ていて、なんとなく目が合った。

 

何を思ったか僕は、その子においでおいでをしてしまった。完全な好意だった。

 

そうした時、ここからは僕の妄想だが、園児たちの保育士がこちらに気づいて、動物園の入り口に不審者がいるとどこかに連絡をした。

 

すると、スーツの大人が何人も僕を取り囲んで、僕は怖くなってその場を去った。

 

その人たちはそれからもついてきて、僕は電車に乗って家に帰った。

 

電車の中でも、何か僕の方をチラチラ見て話し合っている感じがした。

 

僕はこれ以上何も悪いことはせず、このまま帰れれば何事もなくなると思って大人しくした。

 

ただ、ほんの気まぐれにおいでおいでをしてしまっただけで、大人の人(多分警察の人だと思う)が何人も出動したことに酷く傷ついた。

 

そのまま栃木駅で降りると、その大人たちは僕を追い抜いて警備を固めているようだった。

 

僕は悲しくなって、そのまま歩いて、5キロ先にあるアパートに帰った。

 

実際のところ、その大人たちに何かされたということはない。それは自分が何もしていないからかもしれないし、そもそも自分の勘違いかもしれない。

 

それでも、僕はこの世の全てが自分に対して敵意を持っているように感じて、そして泣いた。

 

哭いて泣いて哭いて泣いて哭いた。

 

そして、悲しさにないて、自分の滑稽さに笑った。

 

泣いて笑って泣いて笑って。何度も繰り返して涙が枯れるまで泣いた。

 

あんなに泣いたこともない。とてもとても辛い思い出だった。

 

泣くのなんてアニメや映画を観た時だけでいいと思った。

 

今ではそんなに泣くこともない。それでも言の葉の庭やグリーマイルを観た時は号泣してしまう僕なのでした。