柳 真佐域ブログ

好きなものを好きなだけ語るのだ

ジブリ語り 魔女宅

柳「魔女宅の新事実知りたくない?」

リョウ君「知りたい!」

柳「リョウ君って魔女宅どう見てる?生意気で健気な女の子が、街に出て修行して、いい人たちと知り合って、挫折もあるけど、最後は恋の力で奇跡が起きました。みたいな?」

リョウ君「いいから早く語りたまえよw笑」

柳「語るにしても知ってること話してもなぁ。

魔女宅の世界は、第一次第二次世界大戦がなかった現代が舞台で、科学の発達がチグハグになってるらしい。自動車は1920、飛行機は1940、テレビがある1960

宮崎駿は猫が「あいつらわかったような顔をして気に食わない」と言って嫌いだったりする。

先輩魔女が降りていく街は光る風車があることからパリムーラン・ルージュから来ていて、この年代のムーラン・ルージュは今でいう歌舞伎町(風俗街)だった。

→だから田舎から来た冴えないキキを呼んだりしなかった(いい人)

このことから世間知らずの田舎の少女が都会に出てくる危険性を表している。

駿は鈴木敏夫と協議の末、架空の世界ではなく現代の世界を描くと決意した。

キキの母コキリは堕落した魔女。その証拠が先祖代々受け継いだコルドロンの釜をドライフラワー入れにして、ビーカーや天秤など科学器機を使って薬を作っている。

だから近所の膝の悪いご老人から、「『私の』リウマチにはあなたの薬が効く」と言われる始末。

だが、コキリの商売も趣味程度であって構わない。旦那は考古学者だし、街には発達した西洋医学を習った医者がいるから。

この世界では、魔法は無用の産物となっている。

その証拠に、キキが修行に行く夜、次々と乗り物が執拗なまでにキキを追い越していく。

取りあえずここまで!」

リョウ君「面白い!続きも送って!」

柳「続き~

魔女宅の中での魔力というのは、才能を表している。

魔女は空を飛ぶことで、宮崎駿は絵を描くことで魔法を使う。

それが、科学器具を使って薬を作るコキリ(など)とコンピューターグラフィックを使って絵を描く現代のアニメーターを重ねて表している。

駿は自分達が脈々と受け継いできた芸術(アニメーション)の技法を失われていくように感じていた。

だからそんなとき力を受け継がせる子供を甘やかしてしまう親はダメな親。ダメだったら帰ってきても良いんだよと言ってしまう親はロクなものじゃない。

キキは(魔女は)才能のある職人と同義。親が厳しくないから子供が育たない。

宮崎駿は、まともに子育てが出来ないダメな親に育てられた女の子は自分のことしか考えられない、そんな甘ったれが親を越えて踏ん張る話だとしている。

つまり、まともな人間になる話、アンチファンタジーとして書いている。

毒親っぷりは千と千尋の神隠しでも書いた。

魔女宅の時は伝わっていなかった!

魔女宅のやり直しが千と千尋の神隠し

本当だったらお父さんに高い高いして貰うとき、お父さんに「一人暮らしするんだろう?」と言わなければいけないが、出来ない。

その伏線が、おそのさんのミルク粥を作ってくれたシーン。

本当だったらキキは、フーフーしてもらいながら食べさせてもらいたかった。

でもそこで踏ん張る。

駿は、人間ってのは親から独立して暮らさなければならない、でなければ成長できない、独立できないとしている。

その辺のメッセージが読み解けないと、スイーツなアニメになってしまう。

人々が優しかったから、街を好きになれたんじゃなく、一人暮らしの辛さを乗り越えたからコリコの街が好きになれた。

魔女としての成長ではなく、人間としての成長があったからこそ、偉大なる魔力が宿る。

押井守は魔女宅がジブリの作画レベルのトップだと言っている。

見落としがちだが、キキの服には予備がある。(裾上げのシーンの椅子に掛かっている)

魔女にとって音は集中を切らしてしまう邪魔なもの。

先輩魔女ラジオを消してと言ったし、コキリさんもキキの大声で集中が切れて失敗した。

最初キキが村から飛び立つシーンと最後はトンボを助けるシーン。

旅立つ時は声援の中、助ける時は、キキは騒ぎの中、音を感じなくなる。

ここは俺の考察だけど、音があっても飛べたキキにはとんでもない潜在能力があった。

宮崎駿は、魔法で飛べることを誰も評価しない世界を描きたかった。(アニメを描く自分と重ねている)

冒頭の湖で寝そべるシーンの、風と波の作画が異常。

雲と波と風が別々の動きをしているのに画面の中で完全に成立している。←カリオストロの城での復讐戦。カリ城のOPの波のシーンを妥協してしまったから。

しかし、宮崎駿はキキが決心する時のシーンは大不満だった。あんなシーンは今後やってはいけないとまで言っている。

宮崎駿が目指していたのは、優秀なアニメーターが二人係で半年間か一年かかりきりになってやっとできるほどのものを望んでいて、

それはかつて庵野秀明という天才が巨神兵の作画を任せた時のものだった。

しかし、キキが寝転ぶシーンの作画も異常。草の全てが別々の動きをしている。

何故このような(神)作画を求めるのかといえば、

宮崎駿は映画というものは、最初の十秒で、この映画は正座して観なければならないものか分かる(分かる人には)から。

それは宮崎駿が(鈴木敏夫と)映画に行く時、五分でダメだーと言って出てきてしまうから。

つまり、俺の映画は正座してみろと言っている。

まだ続く~」

柳「続き~

絵描きのウルスラの初期設定は27歳だったが、鈴木敏夫との協議の末、18歳に。27歳だと言ったのは当時宮崎駿のお気に入りのアニメーターの女性が27歳だったから。

彼女が北海道出身だったから、キキの生まれた場所が寒冷地域なのかもしれない。

キキの村は、屋根の勾配が急(雪が積もるから)で、窓が縦長(出来るだけ小さくして新鮮な空気を入れるため)。

キキの生まれた家は、宮崎駿の別荘のある信州のイメージ。

ちなみに、コリコの街はハーフティンバー形式のドイツに見られる寒冷地風の作り。

駿によると、魔女は月と太陽の間のトワイライトな存在で(キキの家の看板に絵がある)隠された知識の預かり手。(ゴシック建築工のようなもの)

それは魔法というものは才能であることを表している。才能は鈍ることもある。

使い手の調子で鈍ることもあれば、時代によって鈍ることもある。

科学器具を使うコキリがいい例。

現実世界で照らし合わせれば、かつて小説が世界を変えた時代もあった。(ドストエフスキーなど)

それが、アートになりエンタメに成り下がる。

魔女宅ではコキリはアルコールランプ一つで効くか効かないかわからないリウマチの薬を作るまでに成り下がっている。

押井守は才能だからこそ急に描けなくなる。あとになればそんなきっかけだったのかと思うものもあるが、悩んだ末に急に描けるようになる(もの)。スランプが来るのはどうしようもない。

そんな中、何故キキが飛べる設定にしているか、才能が世界を変えた時代から、技術が世界を変える時代の中で、か弱い力を使って友達を助けるという奇跡が起こるという風に解釈していると考える。

それでもキキは自転車くらいの速度で思い荷物も持てやしないのに、自分が魔法使いということで、ウキウキモテモテのはずだと思っている。→そんな女の性根を叩き直すアニメ。

しかもキキはズルをしている。本来箒に乗って行ける範囲の街(小さな)での修行のはずなのに、貨物列車にのって自分ではいけない遠くの街へ行ってしまった。

この不自然さがドラマのスタート位置。無理してでっかい大都市に行って必要以上に孤独感を味わうことになった結果、キキは大きく成長する。

駿は原作を読んだとき、面白くないといって投げ出してしまったが、その代わりを鈴木敏夫が読むはめになった。

しかし、鈴木敏夫忙しさから適当に読んで、「これは児童文学にみえるけど、きっと読者は大人の女性が多い。それは都会に出てきた女性に話だからだ。魔女の話というよりかは皆自分の才能や能力疑問を持ちながら都会で一生懸命頑張っている話だ」と駿に話した。

それなら描けるよー!と駿はプロデューサーだけをやるはずが、監督にのさばる。

しかし、原作とは全く違う話になり、あとで原作者謝りに行くことになる。

コキリ、先輩魔女→魔女、おその→パン屋の女将、マキさん→ファッションデザイナー、ウルスラ→絵描き、老婦人→料理

女性キャラは皆テクノロジーに自分の居場所を取られつつある。

その点男キャラはそうではない。

お父さん→考古学者、パン屋の店主→パン屋、トンボ→人力飛行機

女性は才能によって自分の生き方を広げていくが、テクノロジー狭められる。

男性はテクノロジーに沿った生き方をしている。

魔女の服は質素に慎ましく生きる修行僧の黒色。だが、

キキのリボンがでかい理由。キキのリボンは自意識の象徴。

駿曰く、少女は皆、頭にでっかいリボン(自意識)を乗せている。

原作では一年の話なのに、アニメでは、海の街の一夏の話ということで、世間はバカンスなのに、自分は黒い服で惨めに過ごす修行を表している。

リボンは初期設定では大きくなかったが、宮崎駿が喫茶店で鈴木敏夫に泣き言を吐いた後、紙ナプキンに描いたキキがでっかいリボンを頭にのせた少し物憂げなデザインだった。

公式キービジュアルのパン屋で物憂げに店番をしている絵はまさに魔女宅でのキキを表している。

鈴木敏夫が魔女宅をやりたかったわけは、自分の娘マミコのため。押井守の証言。

鈴木敏夫の娘マミコは、カントリーロードの作詞や千と千尋神隠しでも『再び』という曲の作詞をやっている。が、そのことを責めるマスコミの情報統制をジブリは徹底している。

宮崎駿が思春期描けないと言った理由は、宮崎駿の思春期が、弟と病弱な母の世話をして、悩むよりナウシカやシータのようにいい子になるしかなかったから。

しかし、悩むのを止めて急に絵を描き出し、「これだよ、鈴木さん。頭にでっかいリボンを乗っけてるんだよ。でっかくて重くて自分でもどうにもならない」と言った。

その後、原作を読むが、「鈴木さん、嘘をついたね」と、原作には都会に出てきた女性の悩みとか自立は書いていなかったことを知る

痛い中二的な自意識=でっかいリボン

ちなみにウルスラが都会に出ていく時に被るでっかい麦わら帽子もそう。内心都会に行くことをビビっている。

キキのパンチラはキキが魔法が下手だから。魔女=職人としての人前でかかなきゃいけない恥をかいているのということ。

恥ずかしい分だけパンツが見えないように修行しろという職人へのメッセージ。

駿自身、街の中でパンツ丸出しになるのは、魔女になるために最後通過儀礼としてキキに必要と言っている。

パンツは敢えて見せているから上手くいっている時は見せない、でも気を抜くとちょっと見えちゃうということになっている。

最後の最後に見せてしまうのは、キキが一人前になっていない証拠。それでも見せないように努力している。

ドロワーズという意見もあるが、雨の日の次の日着ているものを全部庭に干している(はず)

女性陣の多くがピアスをつけている。コキリ、おそのさん、マキさんは赤いピアス、ニシンのパイの家の子と先輩魔女は黄色、老夫婦ターコイズ。赤は今セックスをしているというサイン。キキとウルスラはしていない。

トンボとは友達のまま。宮崎駿もそう言っている。もし彼氏なら、最後ジジが肩に乗って、言葉を話さないことがわかったら、トンボの方を向くはず。

ラブロマンスの鉄則で、私は(ジジを)失ったけど、今は彼氏(トンボ)がいるということで視線を向ける(はず)

ジジが話せなくなるのは、ジジがイマジナリーフレンドだから。

イマジナリーフレンド=空想の友達。子供が人形などに話しかけ、時折人形の方からも持ち主に話しかけることもある。

原作派ではキキが恋をしたからジジと話せなくなったとしている。

原作では魔女の家庭で女の子が産まれたら、それと同時期に産まれた黒猫を飼うことになっていて、その黒猫とは、飼い主が恋をしたら別れるという設定が組まれている。

だが宮崎駿はそれを採用していない。

ジジの理性や知性は元々なかった。キキの使える魔法は箒に乗って飛ぶこと一つとしているし、ジジがキキ以外のキャラと話すようなシーンは一切ない。

しかし、イマジナリーフレンドというわけでもないというのが宮崎駿が複雑な構造にするため。

イマジナリーフレンドならキキが旅立ちを決心するときに一緒にいるはず。原作ではそうだった。

ジジはキキの本音(の部分を担当している)。

マキさんと先輩魔女のシーン。キキは素敵ねと言っているが、ジジは気に食わないと言っている。←絵で嘘をついている。

鈴木敏夫はジジをキキの別人格と言っているが、駿はキキの一部と言っている。

これが思い付いたから思春期を描けると思った。

ジジが明日は別の街へ行こうかと言ったとき、キキは返事をしない。ここでも絵の嘘があって、キキは夕陽を見ているんじゃなくて、窓辺で花壇に水をやるマキさんを見ていた。

マキさんを認識しているのはマキさんが荷物の配達を頼みに来た時の表情で分かる。二度ビックリしている。

キキは美人を見ると敵意や反発と同時に劣等感を感じる。

だからマキさんが店の外で手を振ったとき緊張してから弛緩する。

先輩魔女にも何故自分を先輩魔女の街に世話してくれなかったのかわからないから、嫌な奴とジジが舌を出す。

ニシンのパイの娘も宮崎駿はあの対応で間違いないと言っている。

更にキキがありがとう!と感激されるべきと言っているのが問題なんだと言っている。

美人には敵意を持つが、そうではないウルスラやおそのさんとは仲良くなれる。

なのに、キキは陰キャのようでリア充。旅立つ時、素敵なボーイフレンドができたらどうする?とジジ(本音)言っていることから、男の子に興味津々。

それでも本当は自分に自身がないからいざ男の子(トンボ)に声をかけられても、私なんかと反発する態度をとってしまう拗らせ女。

キキは自分の見た目に振り回されているかなり普通の子として描いている。

しかし、ジジはキキが自分でも認められない暗黒面。

その見所で、ジジがリリーと仲良くしているときに、笑顔のまま立ち去るシーンがある。(怖い)

顔が見えなくなったら鬼の形相をしているはず。←この顔を駿は客に想像させたい。→が、久石譲のタンゴのような曲のせいでわかりづらくなっている。

これはキャラとしてしか女性を描けないと言われた宮崎駿が本気で女性を描いたらこうなったという表れ。

まだちょっと続く」

柳「ラストいくよ~

キキが笑顔のままで立ち去ったのはめぞん一刻の怒ったときの響子さんが近い。

ジジと何で喋れなくなったかは、ジジがリリーと仲良くなる→ジジに捨てられる→知らずにトンボのところへ配達する→トンボに心を開く→ジジから卒業したから。

トンボに怒ったのは、トンボを独占したい本音があっても、それを認められずにいるのに、トンボが(男が)無神経に声をかけるから

とても私が汚くて嫌な女だからよとは言えない。

魔女宅は赤毛のアンの復讐戦。

高畑勲赤毛のアンから逃げた宮崎駿の贖罪の意味が込められている。

赤毛のアンのとき、宮崎駿はアンが嫌いと言って制作から逃げた。

その前にハイジと母を訪ねて三千里で高畑に青春のすべてを賭けたのに高畑さんからはなにも返してもらっていないと、鈴木敏夫に涙をボロボロ溢して酒をガンガン飲みながら言った。

赤毛のアンから逃げ出してカリオストロの城を作るが、大失敗に終わる。

そこで宮崎駿は絶望とか自己否定とか孤独を味わった。

トンボと会ってからジジに会ったらジジは話せなくなっていた。

それは汚くて真っ黒な自分の存在に気づいてしまったから。

ジジは本当は最初から話せなかった。ラストシーンで肩に乗る喋らないジジを見てキキの成長が表れる。

あのシーンは実はキキは孤独なのだが、それは都会で独りで生きるということの確認でもあった。

これはアニメの成功で孤独になった宮崎駿を映している。

自分は独りぼっちだ、だがそれでいいと駿は言う。

空が飛べる=アニメを作る才能がある自分が才能があるだけでチヤホヤされない世界が当たり前の世界。

美人が優遇される世界でもない、みすぼらしい自分がかわいそうな世界じゃない、それがキキの救い。

エンディング、ジジがいなくなったことで、キキに同年代の友達ができる。

マキさんとも普通に挨拶できるようになった。

小さな魔女のコスプレも、キキが街に認められ、キキも街に馴染んだ証拠。

宮崎駿は恋をしたから魔法を取り戻した、みたいな手塚治虫がやりそうなことはやらない。

思春期がわからなくて高畑から逃げたからこそ、キキはトンボを助けた。

トンボは高畑勲で、高畑勲と和解するための作品が魔女宅。

贖罪であり罪滅ぼし。

ここからは岡田斗司夫の想像だが、エンディングでトンボの人力飛行機をキキは蜘蛛の糸のような細い糸で支えている。

だから力尽きて飛行機が落ちていくとき、心配そうのキキは寄っていく。

それでも高畑勲と飛ぶことはもうないんだという決別でもある。

ナウシカラピュタでアニメファンが嫌いになったが、魔女宅はそんなアニメファンに、アニメ=ファンタジーなんか観ないで一人の人間として地に根をはれと言っていると同時に、またこの作品を観て元気を出せ、と言っている。

それが、オープニング船場のシーンと車が往来するシーンに表れている。

オープニングのシーンではキキが空を飛んでいたが、エンディングのシーンではキキがいない。キキがいない世界を描いている。

キキが飛んでいない世界=それが当たり前の世界。

でも最後の最後でキキはパンツをチラリと見せ、アニメに依存してもいいんだよというメッセージが込められている。

やっと終わったw
 
リアクションプリーズ」

リョウ君「なるほどなと思う反面ホントかよって疑う部分もあるって感じw

同意する部分も30%くらいはあるけどこれが全部事実なら駿が伝えたいこと客に全然伝わってないやんてなるwww

確かに裏設定的なものはあるのかもしれないけどそれを本当に伝えようと前面に押し出して作ってるとは思えないかなぁ。
仕上がりとしての目標はあくまでも全年齢向けの女の子の生長物語だったんじゃないかなと。」

柳「駿的にはその辺はやんわり(何となく)受け取って貰えたらOKらしいよ。

岡田斗司夫の動画見てると、駿は大人向けと子供向けの意味合いを重ねて作ってるっぽい。

まぁホントかどうか実際に資料集めて(ほどんど書籍として出版している)自分で確かめないといけないけど、そんな金も暇もないから、これが一つの説だって頭でそうだったら面白いなぁって感じで俺はとらえてる。

あとは誰から言われたかでも信用度が変わるんじゃね?」

リョウ君「これはこれで普通に面白いんだけどマジかー!みたいな情報がないって感じw笑

へーそうなんだーみたいなテンションw笑」

柳「それだったら、千と千尋銀河鉄道をオマージュしてるってのが俺はビビっと来たけど、まぁそんな感じだよね。

てか今さらジブリの新事実を知ったとしても、そうなんだーってくらいの感動しかないだろうなw」

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