時間についての十二章 不均等な時間
面白かった!
作者の立場や考えていることなども、自分の及ぶものでなかった(それでも理解は出来た)のもとても好感が持てた。
文章としても面白いし、論としてもきちんと構成が出来ていて、読みやすさと読みにくさのバランスもとれた良い文だった。
最初は昔ながらの農村側の立場から物を言い始めて、説教くさい漢字になるのかと思ったら、生協は説教なんだけど、ちゃんとインテリにまとめられていて、
抽象的な概念で持っていた、自然って大事だよねということを、論理化していて頭で理解が出来た。現代の哲学者の言葉で初めて響いてくる言葉だった。
漠然と自然が大事だと言っても、それが自分たちの何を破壊して、それがどういう結末(顛末)になるのかを書いていたのが、良いことを知った気になれた。
鹿高の生徒はこのレベルのことを高校一年の時に学ぶとは、恐れ入った。
自分が高校生の時だったら、時間の合理化が自然をどう破壊しているか結びつける論拠の部分が理解できなかったと思う。
文章としての質も良かったし、これだったら読む価値がある。
最期に筆者が問いかけた新しい時間体系については、これから考えていかねばならないと思ったが、世界がベーシックインカムを導入すれば、時間体系も変わるのだろうか。
自然を支配することは、時間に支配されることと筆者は言いたいのだと思う。
そこを昔ながらの生き方に戻しましょうと言わずに、新しい生き方を見つけましょうと言っている辺り、老害ではなく、きちんと現代の人としての意見で、そこが説教臭くならずによかった。
宮崎駿が自然が大事だと言って、自分の身の回りの及ぶ範囲だけの自然を守っているのより、ずっと広く自然は大事、近代の人間の生活スタイルも大事だけど、
もう一歩先に行ってみてもいいんじゃないかという問いを投げかけることは、確かに意味があると思う。
戻るとか逆行する、還ることより、新しさを見つける方が人間らしいとも言えるだろう。
新しい人間の生き方が見つかれば、自然を傷つけることなく、寄り添って生きる時代も帰ってくるかもしれない。
それにしても、人間がどうやって自然を分解し、侵し続け、恩恵を絞るだけ絞って何も返さない、言うなればレイプしていたのかをまざまざと教えられて、少し戦々恐々としている。
今コロナの騒動で、人間の生き方が(現代の人は)全世界で見直されるチャンスに、より良く生きていく方法が見つかればいいと思うが、災害で痛い目を見ない限り、目を覚まさないのが人間というものである。
危機意識を持つのは危機に瀕してからだし、それまで誰がどんだけ警告していても、それは大衆を動かすことは無かったし、
こういう教科書で学んだ個人が、個人的に思って、個人の出来る範囲でなんとかしていくくらいしか、出来ないと言うのは寂しい話だ。
人間奇跡が起こらなければ、何も認めようとはしない。
もし科学が発展して、死んだ人を生き返せるとかまで、いったなら、いや、それでも人の生き方はその時代はその時代の人なりにしかなっていかないんだろう。
変わることは無いと言ってしまうのは、早計だが、変わるならそれが積み重なって持続したときだろう。
時代というものの腰は重い。
世界が変わるかもと兆しがあった時は、急激な流れを持って変わっていく。
テレビやネットが世界をつなぎ、生き方を徐々に変えていったように、今回のコロナも色々と人間に考えさせてくれるはずだ。
死ぬまで一生終わらないこの自問自答をどれだけ楽しめるかで人生は彩ることが出来ると思う。
楽しいための努力は惜しむ必要はないが、辛いことを我慢する努力は世の中のシステム自体が変わってしまうことも加味すると、無駄な徒労のように思える。