自分の感受性くらい 茨木のり子
ぱさぱさ乾いていゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
何もかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
何だこいつ。すげぇムカつくなぁ!
たぶん自分に言っていることなんだけど、そう見せているだけで他人に言っているだろこれ。自業自得を詩にしているんだろうけど、クソ説教臭くて敵わんな。
自分を律して他人のせいにせず、生まれのせいにせず、時代のせいにせず生きていけというメッセージは、うるせぇという他にない。
詩というものが美しいものを表しているんだという前の二つの句に対して、美しくいきなさいと怒っているこれに、心が満たされることは無い。
ただ、私を嫌いになってもいいのという潔さが前面に押し出されていて、この人は人に嫌われることを厭わない人なんだなってことが分かる。
人間そんなに片意地張って生きるのは辛いだけだと思うが、自分が健やかに生きるには自分で自分を守らなければならないということはわかる。
それに自分を守るというのは、侵されないところに逃げるのではなく、積極的に防御していく、非難もあるし、自己否定もあるだろうけど、それでも強く自分を律して、尊厳を守り続ける。
それを他人のせいにしてはいつまで経っても、自分の尊厳は立って行かないし、幸せは保てない。
しかし、人間が幸せになるために、というテーマでもないし、ただ単に、普段抱えている怒りをぶつけただけというわけでもないとは思うが、それにしても言い方というものがあると思う。
もっと詩に寄せる工夫があってもいいと思う詩、そうしなかったのは、作者がこのメッセージをストレートに伝えたいと願ったからだと思う。
当たり前のことを当たり前に言うのは勇気がいることだけど、この人に臆病からの勇気を振り絞った一言という印象は受けない。
多分普段から怒りっぽい人で、何に対しても怒りを向けている人なんだろうと、この詩を読んだ限りでは思ってしまう。
三好達治や中原中也に比べ、言っていることの厚みが薄いし、心に響いてこない。
ただの老婆の説教という印象しか残らないし、そう思うのはこの詩に技術を感じないからだ。
説教だったなら、もっと高度に作らないと、あぁはいはいわかりましたよ、確かにそれは正しいですよね、正論ですものね、という感想しか持てなくなる。
乾いていく心に水やりをしなければならないなら、その方法が知りたいのだし、友人と不仲になってきたのなら、自己の凝り固まった考えを解きほぐしてほしい。
それは甘えなのかもしれないけど、それを大声で指摘されても、耳を塞いでしまうだけだ。だが、耳を塞ぎたくなるのは、それが的を得ているからだ。
だが的を得ているから、その人の子事に突き刺さりはしても、その棘はやっぱり痛くて、無かったものにしたくなる。
説教というのは耳が痛いものだが、痛みが引いて、傷が治っていき、痛みを振り返るのには時間がかかる。
説教を言ってくれるありがたい老人たちは、そのことを知ってか知らずか、説教をすることを止めるようになった気がする。
それは自分がお年寄りと接することが少ない生活をしているからだが、敢えてお年寄りと寄り添って暮らさなくてもいいかと、生き方を取捨選択したからだと思う。
お年寄りがいた方が、色々と知恵が豊かになると思うが、それと比べて、口うるさい人がいない、快適な生活とを天秤にかけると、厄介事より快適さを選んでしまう。
これからNPOの活動をしていく上で、お年寄りとの関わり合いは必要になってくると思う。
その時に言われた説教を言ってくれたとか、自分の足しにしてやろうと思うように心を鍛えておいた方が良いと思う。
現代では若い人もお年寄りも自尊心ばかりが際立ってきてしまい、もっとお互いが気兼ねしないでバカ騒ぎ出来る関係になれたらと思う。
若い人はこれからの長い人生をどううまく生きていくか、(上手くなくても豊かに、豊かでなくても美しく、美しくなくても愛のある)お年寄りは残り少ない大切な時間をどう価値のある、悔いの残らないものにしていくか。
それは協力によって充実したものに変わるだろうし、それを試すでもいい、今から始めることは人生のプラスになると思う。
何でもかんでもプラスにしていこうというのは現代的な考えだが、そうすることで、お互いのマイナスも補い合えると思う。
共通の話題を作るためにも、古きを知ることは大切だ。
こうして自分の考えを記しておくことで、自分がどういう人なのか、伝えることが出来る。
もし有名ブロガーになれるなら、いろんな人を繋げられる人になれればと思う。