柳 真佐域ブログ

好きなものを好きなだけ語るのだ

末っ子の宿命

末っ子歴31年の柳です。今日は末っ子について少し語ってみようと思います。

 

僕は三人兄弟の末っ子に生まれて31年経ちますが、一番の居心地の良さ(無責任)を日々浸っています。

 

僕には一番上に姉、真ん中に兄、末に僕という一姫二太郎の典型をいっている家族構成ですが、幼少期の頃から甘えに甘えて育ってきました。

 

五歳上の姉が面倒を見てくれたこともあり、常に構ってもらえる末っ子の特権を使って、ストレスなく(いやあったか?)可愛がられてきましたが、

 

まずは末っ子で不利だったことを話そうと思います。

 

末っ子は自分のものを持ちづらい。僕の世代は小遣いがあったら漫画を買うかゲームを買うかの選択肢だったんですが、

 

どちらも歳が低ければ低いほど高価で、また漫画においては何が良い漫画かわからない年齢で買う漫画に、不安を覚えてしまって、なかなか自分の漫画が買えずにいました。

 

初めに買った漫画は、コロコロでやっていた星のカービィ(発達か?)だった気がします。

 

まぁ、買えずに悶々としているというより、姉なり兄なりが自分で好きな漫画を買ってくれるので、それを読ませてもらって楽しむ、ということをしていました。

 

ということで、読むものは大体姉と兄の好きなものなので、必然的に自分もそれが好きなんだと洗脳されて、姉兄が良いというものは無条件で良いものと思うようになりました。

 

今を思えばつまらない人間です。ですが、自分の個性を発揮できていなかったかと聞かれれば、それはありませんでした。

 

当時ミニバスケットボールクラブに入っていて、運動神経が兄弟の中でずば抜けて(普通の人に比べたら普通に良いくらい)良かったため、スクールカーストのようなものが家族の中にもあり、

 

運動が出来るということはかなりのアドバンテージを受けられるということが分かりました。

 

それでも引っ込み思案だったものだから、6年生でレギュラーを獲るまでは、外では自己主張の少なく、家では傍若無人に振る舞うというあまり手の付けられないような子供になっていました。

 

そんな中で、姉と兄が僕にマウントを取るには、知識をつけるという方向に行きました。

 

頭脳じゃ1年2年の差は雲泥の差があるもので、姉の読む本や、兄のやるゲームに追いつけず、かといって一人ぼっちは寂しいから、横で見ているという日々が続きました。

 

姉兄のやるゲームは難しかった思い出があり、僕自身クリアしたのは大人になってからでした。

 

やっていたのは、スパロボF(当時は凄く難易度が高かった)とかペルソナとかちょっと頭が良くて根気がないとできないもので、初めて自分で買えたゲームはFF5

 

他にも姉兄はゲームセンスが良く、カービィボウルとかロックマン(Xも)とか古くはマリオとかをやっていました。

 

兄は今でもゲーマーで、姉は県内でも上位の高校へ進学したので、出来の悪い僕とは本当に月とスッポン(兄は別に月じゃないか)。

 

それに二人は僕は覚えさせてもらえなかったパソコンが得意でした。

 

僕の父はNTTの前身である電電公社という会社で働いていて、小学校の低学年の頃から家にパソコンが一人一台ありました。

 

ネットが普及し始めた時期で、僕は専らエロ画像かエロゲームのサンプルをダウンロードすることに勤しんでいましたが、二人はパソコンのソフトの使い方を父に教わって、パソコンを扱い始めました。

 

姉は自作のホームページを作って、それを更新するのを楽しみにしていたし(それが父の都合で台無しにされたりしたが)、兄は高校で情報科に進み、オンラインゲームをやる片手間パソコンを覚え、大学も工科大学に進みました。

 

僕はというと、何故か父がパソコンを一切教えてくれず、こちらから教えてと言ったことも確かにないのですが、タイピングの仕方すら自分で覚えました。(といってもブラインドタッチが苦手で、出来るようになったのは社会人になって病気をして、就労移行支援センターに通い出してからです)

 

その頃、ハマっていたのが、彼女とのメールでした。携帯を持たせてもらえなかったので、メールアカウントを作って、僕はパソコン、彼女は携帯で愛のお手紙を交換していました。(そのとき少しタイピングが早くなったかな?)

 

メールはすごく楽しく、中学の頃、自分で自分の気持ちを文章にするのが楽しいと思えたきっかけ(作文を褒められた)があったので、それも自分を好きと言ってくれる初めての相手と、

 

毎日他愛のない話をするのは、とってもきらきらした時間でした。

 

それから時間は経って、高校生の時。初めて抱いたアパレル業界へ行きたいという夢を抱いた時、それを打ち明けたら猛反対を食らったのは前のブログで書いたのですが、

 

まさに末っ子の甘えからくる大事件でした。今まで勉強をロクにしてこなかったのに、夢を叶えてもらえると思っている甘ったれに、家族の厳しい一言、「散々好きなことをやってきたのにあんたにお金は払えない」

 

姉も兄も、勉強をしっかり(姉は)、人並みに(兄は)やっていました。僕は勉強しろと言われた経験もあまりなく、勉強しなくちゃいけないと思ったこともありませんでした。

 

末っ子故の危機感のなさが招いた過ちでした。これが最大に不利だったことかな。

 

逆に良かった点で言うと、そりゃぁもう可愛がられました。ごみを捨てるだけで天使の扱いでした。

 

学生時代では父と母が絶えず喧嘩をしていて、家にいるのが辟易していましたし、だからこそ部活を頑張ることで家にいる時間を無意識に少なくすることに勤め、結果レギュラーを貰えることもあったので、これも良かった点。

 

ただ、家庭が崩壊していたからぐれてしまったという点は否めない。

 

それに姉と兄がバカにしているのが分かったので余計にひねてしまったのもあると思う。

 

良かった点。大人になってから、自分の好きなものを好きなだけ見つけることが出来た。

 

姉と兄はメジャーなものミーハーなものを嫌うきらいがある。

 

特に姉はエヴァンゲリオンが嫌いだった。姉が嫌いなものは、子供の遊び部屋にテレビが一台しかないので見てはいけないという習慣があった。

 

姉の女特有のアレルギーは酷いものだった。

 

FF7はエアリス好き、ティファ超嫌い、ユウナ嫌い、リノア嫌いなのに0083のニナは好き、ハマーン・カーンハマーン様、ディアナ様、エマさんなど、兄弟の好き嫌いに振り回されるのも末っ子の宿命。

 

エヴァは大人になってから見たら、普通に面白くてもったいないことしたなぁと思っていた。

 

うちは父がアニメが好きだったので、家にガンダムの第一話のカセット(ビデオ)テープがあった。

 

僕の一番古い記憶も、二機のザクがコロニーに入ってくるシーンだ。

 

なので必然的に僕たち兄弟はガノタになった。

 

中でもSDガンダムが好きで、スパロボGジェネはもちろん、武者頑駄無騎士ガンダムも大好きだったし、SDガンダムこそが僕らの道徳を育てたと言っても過言ではない。

 

兄弟がいると、趣向の幅が広がっていいが、汚染されるから難点でもある。

 

それから末っ子あるあるで、上二人の失態を見て自分は美味しい所を取るということもよくやっていました。

 

だからこそ、上二人から非難されたのもあるでしょう。

 

それでも、一番家族から愛されたのは自分だろうと言う不動の自負があります。

 

末っ子に生まれたから不遇(自己責任の範囲)もあったが、末っ子だから許されたこともそれ以上に多く、だからこそ何をしてもいいんだと思ってしまったというのはあると思う。

 

兄弟から離れた今の生活も(兄は一緒の家にいるが)第二の人生を味わっているようで悪くない。

 

自分の好きな漫画を見極める楽しみも出来たし、未だに勉強をしていたり、本を読んでいるのは僕だけなので、二人に頭の回転は敵わなくても、知識の量は増やせるかもしれない。

 

それでも、上に兄弟がいるというのは、いつまで経っても一人前扱いしてもらえないという鬱憤が溜まる。

 

それでも、いつまでも子ども扱いしてくるところに、返す刀で痛いところを突いてやり、侮れない奴だと思わせると、同等とは言えずとも、身構えてくれるようになる。

 

兄弟同士で牽制し合うのは、認め合っている証拠だと思うが、仲が悪くならないようにはしなくてはならない。

 

僕は障碍者ニートなわけで、自己の保身のために、これからも大事にしてもらうようにしていかなければならない。

 

末っ子になら見放されない、愛される末っ子でいなければならないと思う今日であった。