もし俺がお前だったらと仮定することの無意味さよ
今日も元気な障碍者ニートの柳です。今日はこの前、友人のリョウ君との会話で考察したことを話したいと思います。
先日、ふと思い立って、僕はリョウ君に、「俺のことプロデュースしてほしいって言ったら、幾らでやってくれる?」とラインで訊いてみました。
リョウ君の反応は、まず爆笑していましたが、野ブタみたいなこと?と訊き返しました。
ここで僕が野ブタみたいと言っていたらまた展開は変わったのかもしれないけど、その時は僕の中では、アイマスのプロヂューサーさんのような自分の持ち味を最大限に発揮させて、売れるようにしてほしいという意味でそれを頼みました。
とりあえず、障碍者ニートという底辺の底辺から抜け出すために、今やっている創作活動や、こういうブログのようなことの延長に、何か希望があるのではないかと思っての相談だったのですが、
リョウ君的には、違く捉えていて、もしリョウ君が僕だったらを想定して、プロデュースするならと考えを巡らせてくれました。
ただし、僕はそこに疑問を感じます。プロヂューサーというものは自分のメソッドをその人にやらせる指示方とその人の持ち味を最大限に発揮させる育成型とに分かれると思います。
それは、相手を見て見極めなければならないことで、僕の場合さっきも申し上げた通り後者のパターンの方が自分に合っていると思います。
もし僕が仮にプロデューサーだった場合も、そちらを選択すると思います。
(まぁ、自分に成功のメソッドがあるわけではないから、必然的にそうならざるを得ないのですが。)
リョウ君には成功のメソッドがあります。彼は前にブログで話した通り、「司令型」のカテゴライズの人です。
抽象的な夢とか理想より、現実的な金や緻密で無駄のない努力を常とし、相手より優位に立つことを何よりの価値としている人です。
この辺は岡田斗司夫の『人性の法則』で解説しているので気になる人がいたら読んでみてください。
↓柳 真佐域ブログ『人性の法則―1―』
https://blog.hatena.ne.jp/neocityproject/neocityproject.hatenablog.com/edit?entry=26006613565814086
人生の法則 「欲求の4タイプ」で分かるあなたと他人 https://www.amazon.co.jp/dp/4023308838/ref=cm_sw_r_tw_apa_i_8BuUEb35C27X1
そう、司令型の彼は自分の成功のメソッドを何よりと考える。
僕的には鈴木敏夫プロデューサーのように宮崎駿の良さを最大限に発揮するようなプロデュースを求めていたのですが、初めからボタンの掛け違いが始まりました。
僕がやっている創作活動について、前にリョウ君に話したことがありました。
その時リョウ君は、いつまでも自分の好きなこと書いてたら、一生売れないし、少額でも良いから誰かクライアントを取って、少しずつ金に換えていく方が現実的に小説家になれる道筋が建てられるんじゃない?
と聞きました。その時僕は、僕は結局自分の好きなことしか書けないし、自分が見て聞いたことしか書けない、
いわゆる作家型の気質を持っていることを伝え、リョウ君の言っているような相手によって様々人格を変えて技術で書くライター型の書き方は出来ないと言いました。
現時点でも自分の思いついた物語を描くだけでも、一生を費やしても書けるか書けないかという感じなので、これから新たに他の人のために自分の時間を削ってまで書けないと思っていたのですが、
現時点では、自分の小説をそっちのけにして、(というか書きたくてもインプットが足りないのと、書けていた頃のような衝動が湧いてこないので書けない)
こうしてブログを書いていることですし、仕事としてだったら、ものは選ぶとしても、僕でも何か書けるんじゃないかと思って、そっち方面の相談をしました。
しかし、リョウ君は僕の物書きとしての技術は特にアテにしておらず、それでもやるんなら前にも言ったようにクライアントを取るしかないと繰り返しました。
フリーランスで小説とかライターの仕事をするなら、コネクションが第一だし、複数の案件や仕事量を常に確保しなければならないから、僕には向いていないんじゃないかと助言もくれました。(あ!僕の立場に立ってる!)
前にYouTuberになろうかとも相談をしていたので、そっち方面も考えてくれて、それだったら結構簡単に出来るんじゃないか、ただ毎日更新は最低条件だから、ネタ探しをしなくちゃいけないが、それは他のYouTuberを参考にすればいけるんじゃないかとも言っていました。
ここでも食い違いがあって、リョウ君のメソッドは、あくまで世の中の成功のメソッドのコピーであり、僕が個性を発揮して成功するというビジョンではありません。
さらに現実的な助言は続きます。
今のままで僕が思っている通りに小説家としてデビューしたいなら、工場か何かで働きながら副業として小説を書いたら?とつまらないアドバイス。
話は平行線をたどります。
さらにリョウ君は、大真面目に俺(リョウ君)が僕(柳)の立場だったら、ニッチな飯屋かコスプレ撮影用の貸しスタジオやるわと言ってきました。
僕は、今の時期に?と思いましたが、リョウ君的にはあと2~3年金を貯めて、コロナが治まったらという話で、あぁそれなら納得(いや、納得できるか!)しました。
コスプレの貸しスタジオという発想は、現在リョウ君がTwitterでコスプレイヤーの娘たちとやり取りをしていて、貸しスタジオがない!という現場の声があったからだと思われます。
ここで今回のテーマ。「もし俺がお前だったらと仮定することの無意味さよ」
ここで言いたいことは一つ。僕はリョウ君じゃない。
リョウ君の成功のメソッドを僕に転換してやったところで、それはリョウ君の成功であって、僕の成功ではないということ。
それってプロデュースをする時に、いつまでもリョウ君のお世話にならなきゃいけない話で、本来やるべき自立という意味での成功は果たせないのではないか。
まぁ、リョウ君からすると、俺の成功のメソッドをお前もわかるように勉強して、俺のやり方を基に独り立ちして見せろ、と言いたのだろう。
意見の全くの食い違いが発生しているのである。
ただ言いたいのは、自立というものは自分の力でやるもので、それを手助けするためにプロデュースをお願いしたつもりだったが、結局のところ、彼の「司令型」としての言いたいことは、
お前のやり方じゃ絶対に成功しない、甘えてないで現実見ろ、しかも金云々で俺が動くと思うな、それほどお前の言っていることは現実的じゃなくて相手にするのも馬鹿らしい、まぁ暇つぶしくらいにはなるけどという感じだろう。
それでも彼は最後に、友達というのは自分が困っている時に助けてくれたり、相手が困っている時に助けてあげられたりできる関係のことだ、それも金銭が何よりの世界で、そこをサポート出来るようになるのが一人前の人間だと言い、
俺(リョウ君)は、友達の単発の不幸は大好きだけど、長期的に不幸になることは望んでない人生を左右するような不幸の時は手助けしてあげたいと言っていた。
さらに、僕のことをめんどくさい奴だと思ってはいるが信頼は出来る奴だと言ってくれて、僕は自己評価が低すぎてもっといろんなことが出来るんじゃないかとも言ってくれた。
僕はそれを訊いて「リョウ君……。」となり、そこまでのことを考えている人だと思っておらず、ちょっと感動した。
いい友達を持ったなぁとしみじみ思うのと、やっぱり「司令型」と「理想型」は噛み合わないなぁと思った事案でした。