柳 真佐域ブログ

好きなものを好きなだけ語るのだ

子規句集 正岡子規

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正岡子規

 

 

茶の花や利休の像を床の上

 

高浜虚子選の子規句集の最初に書いてある句。

 

作られたのは明治二十年。

 

この年に書いてある句は一つだけなので上手い出来のものは少なかったのだろうか。

 

季語の茶の花と侘び寂び、茶道の茶聖でも有名な千利休の像が出てくる句。茶の花という句に対して千利休と来たら、マッチングは最高になる。千利休の像を床の上に飾っていた子規は裕福な家庭だったのが分かる。

 

俳句の天才、子規でも憧れがあったのだろう。利休の俳句がどんなものかは知らないが、侘び寂びを極めた人の俳句となれば凄いに違いない。

 

と思ったら「千利休 俳句」で調べても作品が出てこない。ってことは利休は俳句を嗜まなかったのかな?

 

ということは子規は侘び寂びの心を継承して侘び寂びの世界を俳句で表現したのかな。

 

子規が俳句ならばそれが出来ると考えたなら、偉人の隙を突いて上回ってやろうという野心があったのだろうか。

 

僕は作品を書く時、初めは憧れる人と同じ景色が見たいと思って、創作を始めたが、遥か高みを見ながら創作をするのはモチベーションが保てない。

 

むしろ、駄作を見て、「なんだ、こんな作品が世に出てるなら自分でも出来るじゃないか、むしろこんな作品よりかはマシな作品が書ける」と思ってモチベーションを保つことが多い。

 

大抵はクソアニメを見て、こんな設定あり得ない、こんなキャラクターの気持ちの揺れ動き方はリアルじゃない、もっと適切な展開、もっと適切なセリフがあるはずだと思って、自分なりの自分が納得する世界を作り上げる。

 

不純だが、創作というのはそういう憤りから生まれてくるものだと思う。

 

創作をする人は須らく自己顕示欲の塊であって、承認欲求に飢えている。

 

自分の作り出した世界こそが正しいんだと思っている傲慢な人も多いはずだ。ただし、作られた世界には必ず矛盾が生じる。

 

ファンタジーだったらファンタジー警察がいるし、SFだったらSF警察がいる。

 

そういう物がいる中で、極めて短い言葉・文字数で表現される俳句は事実のみを伝えられる究極の表現方法だと思う。

 

この句の矛盾というか作為的なところは、茶の花と利休の像とを組み合わせたところにあるが、そこを事実であるかどうか突っ込んでも仕方のないことではある。

 

突っ込むとすれば、利休の像を床の上に飾っていた子規(の家)は本当だとしても、そこに茶の花があったかどうかは疑問が残る。

 

しかし、今のように四季折々の歳時記があったわけではない時代に、季節を意識し、床の間に利休の像を飾り、その取り合わせとして、茶の花を生けていたことも考えられる。

 

そうなってくると、季節というものとの距離感の近さに情緒を感じる。

 

昔はそれが当たり前で、当たり前の光景だったというのだったら、日本人は便利さと引き換えに多大なものを失ってしまったのだと思う。

 

季節を大事にする生き方を自分なりに初めて見るのもいいかもしれない。

 

 

梅雨晴れやところどころに蟻の道

 

 

子規らしい可愛らしい朗らかな句。

 

梅雨晴れで空を見るのではなく、地面を見て元気にせっせと働く蟻の行列を眺めているなんとも頬が緩んでしまう句だな。

 

蟻の行列を眺められるくらい心にも時間にも余裕を持ちたいものだ。

 

漱石川端康成も金に不自由しないから創作という最大限の暇つぶしが出来たのだと思うが、子規もその類の人なのだろうか。

 

坂の上の雲ではたしか藩士の家の長男に生まれて、病床に臥せった後でも、妹の手厚い看病をされていた描写があったから、比較的家は裕福な方だったのだろう。

 

そうなってくると、俳句はただの嗜みかとがっかりする気持ちがあるが、生活の心配がなかったから過去その自由でありのままを映した俳句が作れたのだろうか。

 

倫理の勉強をしていても、偉人たちの経歴を見ると、対外有名大学を首席で卒業しただの、親も学者で裕福な家庭に生まれて自分も自由に勉強をしたという人が多いが、苦学生からは優秀な学者や創作者は生まれにくいのだろうか。

 

豊富な教材を与えられて時間の許す限り勉強出来た裕福な家の子と、働きながら寝る間も惜しんで勉学に励んだ苦学生とでは、明らかに勉強量に開きがある。

 

それでも苦学生にはハングリー精神が宿る分、その渇きを潤すには多大なものを有する。

 

でもテレビで未だにハングリーを売りにしている人達を見ると、本当に飢えているのか疑問が湧いてくる。

 

百万もする着物を毎回仕立ててくる梅沢さんとか、売れても尚モテたいと言いまわる芸人を見ても、それってビジネスハングリーなんじゃないのかと思う。

 

満たされない思いを持ち続けるというのは難しいことだ。人間どこかで満足してしまう。

 

その点、宮崎駿は満たされないように鈴木敏夫が画策しているように見受けられるが、それも風立ちぬを作ったことで駿自身、自分なりに満足したと言っていた。

 

ある種、使命感みたいなものがない限り、創作活動は続けられないと思う。ジブリのように会社ぐるみで作品を作るなら、

 

社員の人生がかかっているから、やらなきゃいけないと思うだろうが、一人でやっている創作は、本当に自分のやる気次第なところがある。

 

どうモチベーションを保っていくか、どう精神衛生を保っていくかが非常にネックなところで、僕はついまだ書けないなと思ったら書かないで寝かしてしまう性質がある。

 

そうなってくると次に書く時に、優れた文が書けるか書けなくなっているか、試すのが恐くなってしまってつい延び延びになってしまう。

 

この問題は永遠のテーマだ。書いてしまえば楽しいんだが、それに比べて緊張のベクトルが強すぎる。何故自分にそれほど期待しているのかはわからないが、自分の本領を発揮できない無力さを感じるのが嫌なんだ。

 

こうして言葉にしてみると、少しすっきりする。そうやって運任せにするより、技術を着けていくことを考えなければならないとも思うのだが、自分の創作の一番楽しいのは天性の勘を頼りにやっていくことなんだよなぁ。

 

技術を着けるのが楽しい、メキメ技術がついているという実感があるというなら、そっち方面にも岐路が出来るのだろうけど、闇雲を進んでいるようでそれは難しい。

 

今はまだ、勉強というものはもっと自然的なもので、やってきた量の数%、少しずつ発揮できるものだと思ってしまうのだった。

 

 

青々と障子にうつるばせを(芭蕉)哉(かな)

 

子規が江ノ島旅行に行って初めて喀血した時の句らしい。親友の秋山真之と徒歩で江ノ島まで旅行しに行った時に、病弱なのに無理をした子規は喀血した。

 

その時に治療のために体を休めた診療所で見た光景なのだろうか。

 

芭蕉というのはバナナの木のことらしい。水芭蕉とかもあるし、もっと小さな花なのかと思っていた。

 

江ノ島辺りでは芭蕉が植わっているくらい暖かい気候なのだろうか。よくわからん。あんまり暖かいイメージはないが。

 

多分昔からリゾート地ではあっただろうから、バナナの木としてそこらに植えてあっても不思議ではないのだろう。

 

そんな元気で明るいバナナのイメージの芭蕉が障子越しに青々と影を落とし、それを布団の上で見ているという句としたら、情緒がヤバイ。

 

侘び寂びの度合いが命の儚さと掛け合わさって、簡単に良い句と言えない程に、気の毒な感じが出ていて、宮崎駿のエロとちょっと似ている。

 

この句の良さを分かってしまうとなんだか罪悪感が湧いてくるように、良いと気安くいってはいけない荘重な感じがある。

 

子規のありのままを映す写生句にプラスして、命の儚さが映る侘び寂びの世界。

 

僕程度のものでもそのくらいのことはわかるから、頭のいい人ならもっと吸収することがあるのだろう。

 

この詠嘆で終わる感じも、良いよな。障子を開けて堂々と鑑賞することも出来ないところに、芭蕉かなとすることで、はっきりと捉えていない想像の部分が生まれる。

 

何故想像しなければならないのか、何故障子越しにしか見れないのかと読み手に考えさせることも出来る。

 

そういうところに容易くない深みを見ることが出来る。インターネットで調べることが出来る時代でよかった。一人では解読できない類の作品だ。

 

正岡子規の人生は坂の上の雲(一)にそのほぼ全てが書いてあるが、短い人生の割に印象に残るキャラクターで、三人の主人公のうちの一人を担っている。

 

(ニ)以降は多分登場しないと思うが、読者よりの主人公秋山真之の心の中で子規は生き続けていくんだろうと思う。

 

子規が短い人生の中で作った俳句は2万を越えるそうで、俳句を作るために生まれてきたとも言えるかもしれない。

 

その中から高浜虚子が選んだ何百という名句を勉強することで、自分の中の子規という存在を確立させ、尊敬できる人なのか見極めていきたい。

 

世の中には尊敬すべき人なのにその人が何をやったのか知らない人が数多くいる。

 

それだけを学ぶだけでも、人生を費やすと思うし、それだけでも足りないと思うから、自分が知れるのは縁のあった人だけなのだろう。

 

自分にとって縁のある人なら、柳真佐域というオリジナルを作る上で、構成要素の一つとして自分の中に取り入れたい。