柳 真佐域ブログ

好きなものを好きなだけ語るのだ

子規句集(2) 正岡子規

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一日の旅おもしろや萩の原

 

 

(ついたち)ではなく、(いちにち)なのかな?そうじゃないと季重なりになってしまう。

 

旅が面白いなんて当たり前のことも気にせず俳句にしてしまう子規。

 

高浜虚子はこの句を技巧的と言ったそうだが、どのへんに技巧を凝らしているのかよくわからない。

 

これが技術で作った句だったら、技術というものは自分が考えているよりもっと不確かなもののようにも思えるが、開設してくれる人がいるなら是非聞いてみたい。

 

(いちにち)のにしてみたら、その日一日が集約され、更にそれが抽象的な面白かったとすることで、読み手にどんな面白いことがあったのだろうと想像させる。

 

萩の原の是非はよくわからないが、旅を終えて人心地着いた時に目に入ったものなのか、初秋の季節にあった季語だったからなのか。

 

萩は秋の七草の一つらしい。『万葉集』に最も多く詠まれていることからも、古くから日本人に親しまれてきた植物だといえるそうだ。

 

萩をチョイスするのは渋いのかもしれない。楽しい旅だったんだから明るい元気の出る花でもよかったはずだ。

 

そこを当たり前に生えている萩をもってきたところに何か侘び寂びのようなものも感じる。旅と言えば、僕も若い頃は日本中旅をしたものだが、その際に季節を楽しんだり、季節のものを愛でたりすることは無かった。

 

主にやったいたのがアニメの聖地巡礼で、アニメに出てくる建物や風景をカットにあわせて写真を撮っていたのだが、子規にとっての江ノ島の旅は友と旅をする、自分は苦しくはあっても楽しいものだったのだろう。

 

つまり同じ友と旅をした事のあるという経験から僕にだって俳句が作れるはずである。

 

今はもう思い出さないと旅した時の記憶は思い出せないが、その方が醸造されて澱が底のほうに溜まって良い感じになっているかもしれない。

 

と思ったけど特に良い句は湧いてこない。いつになったらこの向き合うのが恐くなくなるのだろうか。

 

夏井先生は俳句に感性やセンスは必要ないと言っていたが、一番重要な続けるという筋力を保つのが普通の人には出来ないのだと思う。

 

それに人間はどこか美味しい所だけをつまみたいものだ。出来たものが出来なくなったのなら出来るようになるまで待つのが僕は一番いいと思う。

 

そうしないと苦しくて仕方ない。別にプロじゃないんだから好きな時に好きなことをしていいと思う。

 

その時、俳句は好きじゃなくなっただけなんだ。

 

また好きになるにはなにか縁のようなものがないといけないと思うし、そういう物があるからこそ努力も出来るというものだ。

 

勝手に修行だと思って苦しみ続けるのは馬鹿らしい。

 

でも続けた者だからこそある繋がりみたいなものには憧れる。

 

句会に出てみたいとも思うんだが、会費がバカ高いのを見て断念してしまった。

 

やっぱり田舎では俳句人口自体が少ないのだろうか。そうなってくるとオンライン句会だが、そっちにもやっぱり勇気がいる。

 

バトル形式にして優劣を決めたがる人もいるし、もっとゆったりとした句会に参加してみたい。

 

 

祇園清水冬枯もなし東山

 

これは破調なのだろうか?いや上五が字余りになっているだけか。

 

祇園、清水、東山と京都をここまで強調する訳は何だろう?

 

京都感をずずぃ~と前に押し出したかったのだろうか。

 

冬の東山は冬でも木々が枯れないで青々としているという句なんだろうか。

 

京都には修学旅行と友達との旅行で二度行っているが、どちらも夏に行ったので考えもしなかった。

 

というか、子規の時代には自動車も持っている人は少なかっただろうに、よく旅に出かけるなぁと思う。

 

旅に出るとしたら馬車か歩きしかないんじゃないのか?鉄道が引かれたのもまだだろうし、それでも旅することがブームだったのだろうか。

 

誰もやらない中、修行僧のように子規が旅をしていたとも考えられないし、いや、そうでもないのだろうか。

 

明らかなのは旅をしたからこそ見た風景を俳句に出来るということだ。

 

何もない所からは何も生まれない。自分の中で何かが生まれる時は、必ず経験なり体験が根っこの部分にある。

 

岡田斗司夫はそれを物語化と言っていた。自分が何かを悩んだ先に成果を上げられたとき、そこに「あぁこうやったから成功したんだ」と物語を作るのが人間だと。

 

その瞬間が一番人間にとってこの世界を面白がれる方法だと言っていたが、つまりは成功しない限り何をやっていても無駄になってしまうかも知れない。

 

成功したのだからその無駄だと思ってきたことに意味と価値が生まれるということだ。結局闇雲を進んでいくしかない。

 

自分にとっての正解への道は自分で切り開かなくては見えてこないのだから。こうして偉人の句を勉強していることにも意味が見出せる日が来るのだろうか。

 

その句の成り立ちを調べても出てこないものもあるし、なかなかに勉強になっている気がしない。

 

とりあえず子規ほどのものが、京都三大押しをしても句として成り立ち、それを高浜虚子が選んだという事実は知ることが出来た。

 

でも三個も京都のものを取り入れて一つの句が成り立っているって、それはやっぱり京都の度量の深さから成るものだと思う。

 

日本で京都という町はちょっと異常なくらい持ち上げられている。京都人は性格が悪いことも有名だし、敷居を高くしてブランド意識を高めているんだろうけど、そこに侘び寂びや季節を愛でるような感性は備わっているのだろうか。

 

価値ばかりが高まっているが、それは町のお陰であって個人個人の品位ではない。

 

むしろ個々に分けた時は京都人というだけで怪訝な顔をする人もいる。

 

プラスにもマイナスにもイメージが先行することはよくないことだ。

 

その点、栃木の土地の価値はマイナスのストップ高にいるので、外へ出る時は常に下手に出ることを考える。

 

それもいいことなのか悪いことなのか。いや、悪いことだな(笑)

 

でも自分の郷土に魅力がないなら他の土地に行った時に、そこの魅力を十分に判定できるというもの。

 

だから他人の良い所を探して俳句を作っていきたいものだ。

 

 

あたたかな雨がふるなり枯葎

 

 

あたたかな雨だけど、季語が枯葎なので冬の句だ。

 

枯れ葎ってあれか、川岸とかに生えているごみのような枯れた伸びた草。

 

あたたかな雨っていいよね!雨に温度を感じる中で、冷たい雨は想像しやすいけど、雨がなんだかあったかいような気がするというのは、とても感性が豊かな感じがする。

 

雨だけでなく少し光が混ざっているのではないかとも想像がいく。

 

それも梅雨や夏の雨ではなく冬の雨をあたたかなと言っている辺りが、希望とか温もりを感じる。枯れ葎のチョイスも侘び寂びが効いているのだろうか。

 

皆が名前は知らないけど、当たり前のようにそこに生えている植物に焦点を当てたり、元気なものと衰えているものをかけ合わせたりすることで侘び寂びが、なんとなく見えてきたかもしれない。

 

今日はちょうど木曜日でプレバトがやるので、侘び寂びを意識した句を作れたら作ってみようかな。

 

ただ俳句を作るだけで精一杯の今の自分に、そんな芸当が出来るかは不安だ。

 

そうなってくると侘び寂びを感じる植物なり状況なりを把握しておく必要があるな。

 

物が豊かな現代で侘び寂びが残っているかは少し疑問だが。

 

自分の根っこにある星野立子のようにわかりやすい句を作ることを基に、子規のような侘び寂びをエッセンスとして入れ込む。

 

口ではそれを取り合わせるのは簡単なことだがやってみたら挫折もするんだろうなぁ。ようは自分に世界はどう見えているのかが重要なんだ。

 

この世界は汚いと思う。それでもいい部分もちょっとは残っていると思う。

 

そのちょっとの良い所を探すなら、良いものを収集することに長けている僕は、フルポン村上のように半径5メートルの俳句を作る方が良いのかもしれない。

 

幻想的な風景とかを書こうとするとどうにも無理が出る。だったら志らくさんのように偉人、それも宮沢賢治を題材にした句を作ってみるのもいいかもしれない。

 

やってみたいことはたくさんがるが、出来ることは少ない。やっぱり褒められるのが一番ためになるんだよなぁ。

 

そのためには褒められる句を作らないといけないというジレンマ。良い俳句を作ろうとするから無理が出るのだろうか。

 

にしても、学校で俳句の勉強ってしてこなかったな。作れたら帰っていいよ~的な感じのはあった気がしたけど、俳句の成り立ちとか、そもそも季語なんて習わなかった気がする。

 

高校になってお~いお茶に投降した時も、別に授業でやったわけではなかったように思う。

 

中学の時は短歌だったったし、本当にプレバト見て俳句始めたと言っても過言ではないな。

 

でも少しでも評価されたのがあったから自分の中に引っ掛かりが出来たわけで、それは作文を書いてその後物語が書きたくなったのによく似ている。