ゲド戦記2 こわれた腕輪
げど
ゲド戦記は、冷たい冬の水か風のような寒々しい気持ちが常に背筋に走って、暗い闇をただ文字だけを頼りに進んでいるような感覚がある。
本来魔法のあるファンタジーの世界というものはそういうものなのかもしれない。煌びやかさなどなく土と風と水と闇で出来ている。
僕の好みではないけど、こういうファンタジーがファンタジーの源流を冠しているのも頷ける。
なんとなく怖さがあり、常に緊張感がある。人間の命の重さが今よりもずっと儚く、簡単に人は死ぬけど、その人間味は現代人のような薄く浅いものではなく、一人一人が必死に生きているのが分かる。
今回、(映画ゲド戦記に登場したであろう)テナーの視点で物語が進行していく。
自分の運命を他人に決められた少女の鬱屈と解放の物語だった。
映画ゲド戦記で手にマメを作って、温かいスープを作ってくれるテナーの若かりし頃は、イメージと全然違って、聡明で薄明な美しい少女だった。
そして、少女なりの残虐性もあって、決していい人とは言えず、それでいて慈しむ心も持っている。
可憐といったら褒め過ぎだが、美しくも残酷という言葉が似合うかもしれない。
自分の生まれが大きな力で運命を決められてしまった少女は、そうなるしかないのだろう。
人は自分を愛してくれる人が必要だ。
女の場合それは恋人でなければ満たされないのだろう。
彼女によくしてくれる人がいても、それは意中の人でなければ捨て置いてしまうのだろう。
彼女にはマナンという世話人がいたが、きっと彼のことを思い出すことは無いのだろう。
それが滲み出てくるように、続編で書いてあったら本物だと思う。
ゲドが出て来るまでの間は、やっぱり主人公スキーの僕としては物足りなさを感じたが、ゲドが出てきてからは一気に物語が進んで面白かった。
四巻以降主人公がテナーに移行するらしいので、今のうちにテナーに感情移入しておきたい。
物語に没頭できなくなってしばらく経ったが、ゲドが出て来た辺りから他の本をつまみにしなくても読める楽しさがあって、久しぶりに読書が楽しく思えた。
でも、自分が求めているファンタジーはもっとどんちゃん騒ぎがあって、ドッカンバトルをして、熱い友情とか美しい恋愛とか、血生臭いドロドロのドラマとかなんだよなぁ。
ゲドとテナーが神殿から脱出した時は、ラブロマンスが始まったなっていう感じがしたけど。テナーがいきなり雌の顔になったし。
ゲドは旅を止められない身であるという呪いを受けているが、それがたらしの訳になっている気がして、女泣かせな奴だなぁと思った。
宮崎駿が好きな理由も少しは理解出来た気がするが、ずっとあなたの作品をやるために私はアニメーションを作ってきたんだと本人に言うくらいの衝撃はなかった。
児童文学というものは、出しの効いた澄まし汁のような、味が分かるようになるためには舌を鍛えなければならない気がする。
エンターテイメントに富んだ作品は味付けが濃く、特にアニメとかだとお約束やテンプレートがあって、胃にもたれるものが多い。
ちょうどいい塩梅だったのが、精霊の守り人やブレイブストーリーだったから、自分は適度な濃度のファンタジーを楽しんだのか。
海外のファンタジーでも、モモと同様に翻訳が丁寧で読みやすかった。
アーシュラ・K・ル・グィンのSF成分(わけのわからなさ)が少なかったので最初から最後まで理解して読み進むことが出来たので続編もこの調子で読んで見たいと思う。
風の十二方位はこのあと読み終わした方が良いのだろうか。ゲド戦記に比べると物語の密度が薄いし、翻訳もわけわからんから読みにくいんだよな。