柳 真佐域ブログ

好きなものを好きなだけ語るのだ

親についての話

私の両親について話したいと思う。

 

私の父は(診断はしていないが絶対に)アスペルガーだ。

 

母はそのことを今でも理解せずに、父は普通の人とはちょっと違う、なんで常識的なことが普通に出来ないのだと未だに疑問を持っている。

 

父の話をすると憂鬱になるので、母の話からしよう。私の母は、とにかく明るい。

 

母が幼い頃に両親と死別しており、母が兄弟の母代わりになって、幼い頃から家事をやっていたそうだ。

 

そう言うこともあって、口を開けばうちは貧乏だ、とか今の子供は恵まれていると言う。

 

家では母に逆らうものは誰もいない。反発することはあっても、結局のところ母のこれまで生きてきた実績を掲げられると、誰も何も言えなくなる。

 

母はあまり頭が良くない。論理的に話したとしても、持論を展開して相手の話を受け入れない。

 

母の中で、今までの実績から自分の常識が正しいということに疑いようがなく、簡単に他人の意見に迎合しないのが自信の源になっている。

 

母はニワトリのように三歩歩いたら忘れてしまう。私のように障害があるわけではないが、言ったこと、聞いたこと、昨日のこと、入れた知識などをすぐに忘れてしまう。

 

もちろん、それで日常生活が滞ってしまうことはないが、母自身忘れっぽい性格を自覚していて、私が学生だった頃から、毎日手帳に予定やメモを書いている。

 

母は自分の育ちが人と違うことを分かっているのか、集団から突出することがあった。

 

正義感も強い。自分がこうだと言ったことは曲げない。芯の強い人だと思う。

 

その反面、身体は丈夫とは言えない。年中調子が悪くなると、すぐ風邪薬を栄養剤のように飲む。

 

内臓も強い方じゃない。昔、父の勧めで毎日ウコンを飲んでいたら、胆のうに胆石が溜まってしまって、摘出したことがある。

 

母は自分で決めたことなら抜群の芯の強さを発揮するが、自分の分からないことで、相手から確信をもって勧められるものに対しては、疑いつつも従ってしまうことがある。詐欺にあわないか心配だ。

 

そういう点で、いつも父には酷い目に遭わされている。私が小学生の頃、母はPTAの会長になった。

 

本人はやりたくなかったけど、周りが推すから仕方なくやったと言っていたし、実際やってみると、会長になれなかった男親の役員に僻まれたり嫌がらせをされたと言っていたが、

 

母の性格上、PTAの役員になった時点で、他の親と一緒になって、足を引っ張り合ったりするのが嫌だったから、だったら自分一番上に立って、指揮してやろうと思ったのだろうと私は考えている。

 

PTAで何をしていたのかは、今になっても母は話したがらないので分からない。

 

ただそういう気質が、私にも遺伝したのか、私も成人式の時に、実行委員長を務めて、初めて人の上に立つ経験をした。

 

実際自分のような人間がいなくても、それなりに会は運営されたのだと思うが、自分自身が主役になる式で、一番上に立つ景色というものを見たかったという点は、きっと母に似たのだと思う。

 

自分が上に立っていれば、何かあっても自分が対処すればいいのだと思ったし、周りがやる気がなくとも、自分が代わりに働けば、何とかやり過ごせると実行委員長をしている時に思った。

 

母は、自分の子供が学校で過ごしている内に、自分達親の不正やズルを見逃すことが出来なかったのだろう。

 

私の卒業式の日に、壇上に立って涙を流していたことから、相当の苦労があったのだろうということが子供ながらに窺えた。

 

母がPTA会長を務めている際にも、父が激高して家で酒を飲んで暴れるという事件があった。

 

父はプライドだけが高い人で、母のやっている大変な仕事をそうとは見ずに、父の親元を離れて、今住んでいる私の実家で、母が自由にすることを許すことが出来なかったのだろう。

 

母は、前の家では父の後ろを三歩下がってついてくるようにしていたらしいが、結局自分を隠しきれず、そんな母の一面を見て、父は自分の家長としての立場が危うくなると、本能で感じ、暴れたのだろう。

 

私の父は、とにかく仕事一筋の人間だった。というかそれだけしか出来ない人間だった。

 

私が障害を負ってから、様々な障碍者の方を見るようになって、父もアスペルガーを患っているから、普通じゃないんだということが分かった。

 

子供の頃はとにかく怒りっぽかった。プライドだけが高く、母と言い合いになるとすぐに俺なんか死んだ方が良いんだ!と言って出て行ったりする。家族そろって楽しく外食なんて出来た試しがない。

 

母の影響を受けてか、父のご機嫌を取るような兄弟ではなかった。今でも意味不明なことで父が癇癪を起こし、楽しい雰囲気が台無しになることが頻繁にある。

 

そんな状況で、父は常に孤独な人だ。父の生い立ちを聞いてみると、父親が蒸発して、父はシングルマザーの家庭に育ったそうだ。

 

私の祖母に当たる、父の母も母の話によると、父以上にわがままで口汚く、厄介極まりない存在だったそうだ。

 

父が食べ物の好き嫌いが多いのも、祖母の影響を受けているのだろう。私の祖母の記憶はあまりない。

 

私の物心がつくかつかないかという辺りで、亡くなってしまったからだ。母曰く、祖母がいなくなってから、父の暴走に拍車がかかったそうだ。

 

父はオタクだった。家にはガンダムのビデオや、マガジン、ジャンプなどの週刊誌が常に置いてあった。

 

その中でも手塚治虫火の鳥が好きらしく、先日私の部屋の、家族兼用の本棚で全集を見つけた。

 

そんなオタクでアスペルガーの父が、何故母を射止めることが出来たのかは謎だ。

 

私の中の、激しさは父譲りなのだと思う。父は、昔はヘビースモーカーだったし、酒は安酒を浴びるように飲んでいたし、バンドマンだったらしい。

 

それに車の運転が荒い。車は速く走るものだと思っており、直線になればアクセルをベタ踏みにして、止まる時はきつくブレーキを踏む。

 

そんな運転だから、私たち兄弟はどこか出かける時に、必ず車酔いしてしまって、道端で吐いた。

 

それでも父は自分のやりたいことを優先し、どこへ行っても子供が楽しむより自分が一番楽しんでいた。

 

そんな父を私たち兄弟は親と思ったことがない。

 

姉は実家を離れそういう悪感情を抱かなくなって、父の悪行を忘れているかもしれないが、一緒に住んでいる私と兄は、未だに父との確執があり、特に兄は父を病人と決めてかかり、話をしようともしない。

 

自分の親が良い親だったかと聞かれて、良い親だったと答えられる家庭がどれほど多いのだろう。

 

今になってみれば、比較的仲良くやっている方だと思うが、子供の頃は何でこんな親の元に生まれてきたのだろうと、自分の出生を呪っていた。

 

二人とも学がある方ではないので、両親から勉強を教わったことはない。兄弟間で勉強を教え合ったということもなかった。

 

団塊の世代の少し下の世代の両親は、子供との接し方が分かっていないように見受けられた。

 

父はとにかく自分が稼いで家にお金を入れて、3食食べさせ、雨を凌ぐ家と、寒さを温める服を着せるだけに腐心していたし、母も家庭の内情に構っていることはなく、常に外側に力を向けていた。

 

現在、私たち3兄弟は皆働いておらず、また社会で生きていく術を身に着けていないように思う。近所の幼馴染と比べると、自分達だけが実家に残り、他の人は立派に社会に適応しているようにも思う。

 

親の育て方が悪かったんだ、自分達は普通の家庭じゃなかったんだと、未だに心のどこかで言い訳をしてしまう。

 

もっと勉強しておけばよかったなどと思うくらいには、うちは普通の家庭だった。

 

両親のせいばかりではないが、年を取ると遺伝というものを強く感じる。家の兄弟がどちらかというと、メンヘラ気質になったのは、父の影響があるのではないかと最近思う。

 

母の血がそれを少しでも中和してくれたのだと思うが、その分中途半端に正義感が強い子供になった。

 

子供は親の背中を見て育つというのは、よくわからない。父は自分のことに夢中で、食事中でも自分のパソコンに向かってばかりいた。

 

そんな父を母はしょうがない人だと言って許してしまっていたので、特に兄はそれで構わないんだと思うようになったのかもしれない。

 

私たちは父や母を反面教師にしようと結束していた。それでも年が離れていると、所属する環境も変わって、強く結束は出来なかった。

 

31年生きてみて、今の自分の立ち位置を見直すと、確かにこの親にしてこの子だなと思う。

 

こうして自分の不出来を親のせいにする辺りが特にそうだ。良い親というのは、どういうものだろうか。

 

私の両親が子供を愛していなかったとは思わない。自分たちのやり方で愛していただろうということは分かる。

 

結果論で言えば、子供が自立して親元を離れ、自分達も家庭を持ち子供を育てれば、親の教育は間違っていなかった、ということになるのだろうか。

 

そうだとしたら、家の親は三分の一正解で、三分の二間違っている。子供の成長が親だけのせいでは決してないというのは分かっているが。

 

宮崎駿の「魔女の宅急便」で描かれる、キキの親は良い親ではないと、宮崎駿は言っている。

 

幼い頃、テレビで見たあの子供を愛している親こそが、理想の親の像だと思っていたが、最近になってそれが違うことが分かった。

 

姉夫婦の育児の様子を見ていると、自分のことより子供を第一優先にして、子供のしたいがままにさせている。

 

そんな姉夫婦は子供を心から愛していて、自分よりも大切な存在だと思っているだろう。

 

しかし、甘やかされて育った子供が、果たして社会でやって行けるのだろうか。

 

姉は躾けを放棄しているように思う。子供に嫌われるのが怖いのだろう。一人目の姪は、乳離れするのも遅かったし、オムツをなかなか卒業できなかった。

 

子供は勝手に育つものではないと私は思う。自分の子供を育てたことがないので実績はないが、自分が親に厳しく勉強しろと言われなかったことから、放っておけば子供というのはどこまでも堕落する。

 

自分たちが子供に甘くしたツケは、必ず支払われると思う。栃木と香川とで距離が離れているが、私は私の出来る限り、姪たちに社会の厳しさを教えた方が良いのだろうか。そんなことをする必要はないと、母は言うだろうが。

 

私は30を過ぎて、未だに障害に悩まされていて、社会復帰も出来ずにいるので、よほどの幸運に恵まれない限り、自分の子供は望めないと思っている。

 

なので、せっかく兄弟の中で唯一接することが出来る姪たちに、幸せになってもらいたいが、この社会で幸せを掴むことは、自分の経験上、相当に努力をしないと手に入れられないように思う。

 

今の子たちはそうではなく、容易に幸せを手に入れられる要領の良さを身に着けているかもしれないが、自分と同じ血が少しでも入っている子供らに、容易な未来があるようには思えない。

 

かといって構い過ぎることも出来ないし、叔父として出来ることは、子供たちが道を踏み外さないように助言してやるくらいだろう。

 

しかも、自分の言葉では実績の重みがないので、自分が読んで教訓を得られると思った本を、贈ってやることくらいしかやってやることが出来ない。

 

子供たちが大きくなって物心がつく前に、恥ずかしくないように就職しておきたいが、こればっかりは自分の身体が言うことをきかなくては成すことは出来ない。

 

周囲の見えない圧力で職を決めることになっても、こうして自分のことを書き記すことは辞めないでいたい。