勉強の価値
私は今、勉強について勉強している。これまで勉強という物の本質を疑ったことは一度もなかった。
子供の頃の勉強は、やらなければならないもので、つまらないもの、苦しいものというイメージがどうやったって拭うことが出来なかった。
自分の理解度の低さを、他人と比べることで評価されて、お前の価値はこのくらいと頭を押さえつけられ、
自分でも自分という人間はこの程度なんだと諦め、その間も勉強と評価は続き、常に自分の無力さを目の前に突きつけられている気分で、勉強を楽しいと思うことはなかった。
勉強が楽しくなったのは大人になってからだ。初めはマイクロソフトオフィスの資格を取ったことからだった。
教科書を読み、自分のペースで理解を深めていくことで、誰からも比べられることなく、パソコンの扱い方の一つを学んだ。
理解が深まっていくのと同時に、教科書は読み進められ、最終的には世間一般に評価がもらえる「資格」が貰えた。
この味わったことない自信が、勉強が楽しいと思った源だろう。
元々、本を読むのが好きだったこともあり、達成感というものは味わっていたが、資格を取って初めて勉強をして褒められるという体験と共に、自分の中で芽生えた新しい感情だった。
本書の勉強についての記述は、今まで漠然と思っていた勉強に対する視点を、客観的にどういう勉強が正しくて、どういう勉強が間違っているのかと問い直してくれていて、自分の持っていた勉強に対する概念が変わった気がした。
子供の頃は、とにかくわからないものは嫌いだった。だから少しでも分かると思える創作物を好んでいたし、自分の身体を使って運動することで、集団の中で自分の存在を確立していった。
バスケットボール部で活躍したのは、自分の中の生存戦略だったと思う。
身体を動かすことでは兄弟の中で一番優れていたので、そこに自分の居場所を感じたのだろう。
だから、勉強の方がからきしダメでも、自分を保つことが出来た。中学に上がってから、私の勉強はさらに困窮を増した。
算数は数学に変わり、新たに英語の科目が追加された。学校の勉強というのは学年が上がっても数珠つなぎで、最初に蹴躓けば後が自立することもない。
小学校の頃は、出来て当たり前なのに、自分は出来ないことがある、くらいのものだったが、中学校に上がればそれが、順位とか成績に直結してくる。
勉強が出来ないだけで、ダメ人間の烙印を押された気分になって、そんな勉強を放棄して、私はグレてしまった。
自分が勉強が分からないのは、教え方がいけないのだと思うようになったのは、高校生の頃だったが、中学生の頃から、反発できるなら先生には反発していたようにも思う。
授業を妨害したこともあったし、それを妨害とすら思っていない傲慢なところもあった。
クラスメイトたちはさぞかし迷惑に思ったか、もっとやれと思っていただろう。
学生時代は頭の中に靄がかかっていて、AというものをAとも認識できていなかったようにも思う。
誰がそれをそうだと決めたのだと、微かな憤慨が心の中にあったし、自分の中に物事を測るための物差しがなかった。
友人や同僚の影響で、他人を見下してもいいんだと分かった時から、自分という基準を真ん中において、他人を評価することを覚え、自分以下の者は見下してもいいんだと思うようになった。
それから自分の中に他人を評価する物差しが出来たように思う。禁忌の方法だとは思うが、それによって救われたことも確かだ。
私の両親は、学校の教育方針から放任主義の教育方法を選択した。今思えば、それは放任するというより、放棄していたようにも思う。
親になること、先生になって生徒に教えるということは、本来はとてもハードルが高いものだと思う。
子供を作れば誰だって親にはなれるが、所謂、良い親になることはなかなか出来ることじゃない。
そもそも良い親の定義が分かっていないのに、それを目指そうと志す親がどれほど難しい道を進んでいるのか想像に難い。
子供に3食飯を食わせて、住む家と着るものを与えることはもちろん、その上で子供が良い子に育つように教育するというのは、よほど経済的に余裕がある人でなければ難しい気がする。
お金をたくさん持っている方が良い教育が出来るということではないが、少なくとも子供が勉強を嫌いにならないようにするために、環境を整えてやるくらいのお金は必要だと思う。
私の家庭が所謂、中流家庭に属していたとしたら、いや、そうとは思えないか。
下の上くらいの経済状況だと認識するが、そうであっても、受け手側、勉強する側の受け取り方にも問題はあっただろう。
つまり私自身に、AをAと認識する能力がなく、それにより情報というものを正しく受け取ることが出来なかったのだ。
学校の勉強が分からないから、人間の基礎となる部分があやふやになってしまっていて、判断基準が持てなかった。
子供の頃に、自分の無知を直視して対面することは難しい。だからこその逃避だった。
子供の頃私は、考えることが苦手だったように思う。まったく論理的ではなく感情をむき出しにしている子供だった。
馬鹿でもクラスの中では、笑いを取ることで居場所を作った。ツッコミ役を買って出れたのは、自分が一般の人と同じくらいの常識を持ち合わせていたからなのだろうか。
お笑いブームの中で、自分にも役割があったことは幸せなことだった。ここでも、勉強以外のものに私は居場所を求めた。
だからこそ勉強を蔑ろにしたのだし、学校の授業は自分の居場所を守るために利用するものに変わった。
だから子供の頃の勉強で覚えているものはない。自分の興味は別のところにあったのだ。大人になってからの勉強は楽しい。
それは自分で何を勉強できるか選択できるからだ。自分の興味のある物を、自分が満足するまで勉強する。
そこには自分から学ぼうとする姿勢があるから、前のめりになってもっと知りたいと思うのだろう。
物を知ったら、次は考える段階が待っているが、私はまだまだ物を知らなすぎる。
こうしてブログを書いて、何とかアウトプットもしているが、読んで知識を得たことを自分なりの論にまとめ上げたり、考えや思想を持つには至っていない。
これからもまだまだ勉強が足りないが、勉強の先にある「研究」もしてみたいものだ。
研究とは、世界の誰も解き明かしたことのない謎を自分が解き明かすことらしいのだが、そんなことが出来たら勉強した甲斐というものを祝福として感じることがあるかも知れない。
ここのところ勉強に関して、知識を着けて頭が良くなればなるほど、人間の愚かさも見えてきて、嫌になってしまうのではないかと悩んでいたが、今感じている勉強の楽しさを信じて、もっと勉強に励んで見たくなった。
こういう本に子供の頃に出会っていたかったが、大人になった自分がこれを読んで、今それが理解できるようになったというのも、何かしかの祝福かもしれない。
頭の中の靄がすっかり晴れた今ならば、AをAとして認識することが出来る。
誰が決めたとかそういう反抗心が治まった今なら、かつて出来なくて諦めてしまった学生時代の勉強も分かってやれるかもしれない。