羅生門・鼻 ~羅生門~
多分人生で初めて読んだ羅生門は、哀愁に満ちていた。
最初のシーンが実に印象的だ。
雨やみを待っているのか、それともどこへ行ったらいいのかわからないでいる下人の心持は、実に哀愁が深い。
いくつものレイヤーが重なった名文だと思う。
この京が荒んでいた時代を、忠実に再現しようと、言葉選びのセンスもそうだが、実に臨場感があった。
しかし、そこからだんだんと物語はホラー調になっていく。
下人が羅生門の梯子を上って、そこで蠢いているのが、自分より弱い老婆出なかったら、下人は無事ではいられなかっただろう。
今回のメインは老婆の、蛇を干し魚と偽って売っていた女の悪事に、自分が悪いことをするのは、こんな世の中が悪いんだと言い訳し、
下人がそれを聞いた時、だったら俺があんたに悪事をするのも、世の中が悪いからいいよな、というシーンだ。
悪人には、悪人にしか伝わらない法がある。
読んだ人の大概の人が分かると思うが、下人もまた悪人である。
悪を憎む心があっても、下人が起こした行動は悪事以外の何物でもない。
この悪事を自分の法に乗っ取って行う老婆と下人だが、時間差というものもあって、下人の方が、外から判断して義憤を感じ取ったわけで、強度的には老婆のそれとは比べてはいけない。
それでも、下人の方が、しかも男であって、更に太刀までもって、老婆を脅すこの構図は、決して正義などでは一切ない。許せないよなぁ。
悪いことをする人の中では、そりゃぁ悪いことする人もいたものさ、と単純に割り切れない程、この羅生門という物語も、こういった寓話(になるのかな)は浸透している。
今回初めて読んだ時、いろいろと発見もあったし、寓話だったら日本の定番の寓話になるべく、芥川龍之介をもっと読み込んだ方が良いと思った。
たった10ページの物語である。
芥川龍之介が世を憂いてこれを書いたかは知らない。
しかし、あまりに有名なこの古典は、ぜひ多くの人の意見を見てみたいものだと思った。
一行ずつ丹念に探りながら読み込んできたが、一文一文に確かな意味があって、面白かった。
文豪と言われるだけはあると思ったが、宮沢賢治を超えるほどではなかった。
教科書として使う分には何らそん色はないが、好みの文体化と言われれば、微妙。
まだ一冊も読んだことは無いが、芥川賞を獲る作品はこういった、教訓を得られる本なのだろうか。
ようやく教科書で羅生門を勉強できて、満足でいる。
でもあっけなかったな。そんな注目するほどか?と疑いたくなる。
もっと長い話だと思ったし、続きも書けそうなものだけど。
こんなに短いからこそ注目が集まったのだろうか。
芥川龍之介といえば羅生門、羅生門といえば芥川龍之介と言われるくらい有名だし、ひろゆきが言うに、「桐島、部活辞めるってよ」も羅生門がベースになっているとかいないとか。
個々から様々な解釈が生まれて、いろいろな作品が作られていったのかもしれない。
少なくとも僕はあまり影響を受けなかった。
それだけ感銘を受けなかったということだし、好みでもなかった。
おどろおどろしいシーンの書き方は、確かに教科書にするにはもってこいかと思う。
古典から学ぶルネサンスの如く、良いものは吸収して、文章に生かしたいと思う。