なんとなく生きるのを止める
なんとなく生きるのを止めたいと思う。僕は今までなんとなく生きてきた。
なんとなく朝、買ってきてたあるパンを焼いて食べて朝ご飯を取る。
そのパンは誰が買ってきたものなのか。母が仕事前にスーパーに行って買ってくることもある。父が朝早く起きてコンビニで買ってくることもある。
それを当たり前のように、何の感謝もなく焼いて食べる。
これが独りだったらこうはいかない。自分で働いた金で日々の食費を計算して、その日買える一番安いであろうパンを買う。
ゴミを捨てるにしてもそうだ。Amazonで注文した品が届いたら、嬉々として開封の儀をして、紙ごみは丸めてゴミ箱に入れる。ビニールもプラゴミなのか燃えるゴミなのかもよくわからない。
段ボールに至っては、部屋のある二階から一階に降ろすだけで、縛りもしないし物置にも入れもしない。
そのゴミは誰が出しに行く?段ボールは資源ごみ?資源ごみの収集の曜日はいつ?
そんなことも知らない。
今まで生きてきたが、それは何となく生かされていただけだ。
一人前に生きるには自立が必要だ。
今まで面倒臭くて誰かにやっていたものは、いつか降り積もって多額の借金になる。
やりたいことだけをやっていればいいわけではない。
むしろやりたくないこと、面倒臭いこと、誰かに任せていることを自分で引き受けるべきなんだ。
分からなかったら調べればいい。調べてもわからなかったら聞けばいい。
もっと身近な人の力を借りて、頼らず寄りかからず、感謝を忘れず誰かのために生きる。
当然のことのように思えるけど、そんなことさえできていないのが今の自分だ。
ニートにすらなり切れていなかった。
どこにも所属しないからこそ、一番身近な人のために生きられるのではないか。
まだ猶予があるうちにそれをやっておきたい。
自分の財産が自分が買ったものだけしかないのは虚しい。
これからやろうとしていることは、想像を越えるほど馬鹿げているのかもしれない。
でも、10年後後悔はしないと思う。後に引けなくなったらそれなりの生き方をすればいい。
日本という国に生まれただけでラッキーなんだから、この幸運を最大限に利用しようと思う。
この国には労働の義務というものがあるらしいが、そんなもの今の時代崩壊しているといっても過言ではない。
Youtuberやブロガーという生き方もある。ぶっちゃけ納税していればこの国に存在して言い義務は果たしていると思う。
病気などで働けない人もいる。だったらその人は義務を果たしていないからこの国から出ていくべきなのか。
病気をしている本人の親なりが治療費や税金を払っているから良いんだといったら、そういう保護してくれる人がいない人はどうする。
弱者は国が支えなければ国家ではない。強い者だけが生き残る世界ならそんな世界こっちから願い下げだし、引導を渡してくれて構わない。
そりゃ、好きなことだけして生きている人はいないけど、そんなのは当たり前だけど、そんな存在になりたいと思った時、あなたたちの心配しているような、好きなことだけやって楽して楽しいなんてことはあり得ない。
やってみてこそ見えるものがある。
今は家のことを万全にやることが先決だけど、地盤が固まったら外に出て奉仕活動に勤しみたいと思う。
やりたいことを突き詰めることが怖い人はどこかに所属すればいい。
毎日その日やることを考えて、人の為になることをする。
人はそれを迷惑と思うかも知れないが、それは常識がねじ曲がっているだけだ。
人が本来そうすべきように僕は生きてみたいと思う。
そう強く思う。