疲れすぎて眠れぬ夜のために~交換は愉しい~ 内田樹
いやぁ~、クソ面白い評論だったな。
人間の一番つらい拷問から始まって、それを他人と協力する仕事として協働するとどう人間の心境は変化するのか、
人工知能の走りである、「イライザ」の端的な返答を伏線に、クロマニョン人、ネアンデルタール人の交換の楽しさでタイトル回収をしてから、
恋人たちの会話を元に、伏線を回収して、最後はそれを『交話的機能』として人類学の用語としてまとめ、
最後にその技術を使っている太宰治を取り上げ、補足とした、鮮やかな評論だった。
筆者が内田樹という名前を見た時に、心躍って、岡田斗司夫の解説の中や、100分名著などで、内田樹さんの名前を知ったが、
格闘家であり思想家であるという経歴から、上場している人物だということは分かっていたが、それは本人も自覚しているようで、
文章から多少の見下し感を感じ取ってしまい、悪感情が湧いたりもしたが、その見下し感を余りあるほどに、
知識を与えてくれて、愛の分解や、評論としての文章の構成の仕方が非常に勉強になった。
これは知識が有り余ってないとできない、「業」になっている。
面白い部分となんだよそんなこと知っているよという部分の配分と、そんなこと知っているよと思わせといて、実はこんな側面もあるんですよと、教授してくれるところは、思わず上手いと言ってしまった。
僕が研究しいている、愛の具現化に大きな手助けをしてくれたことを感謝する。
まさか、愛してるともしもしが一緒の意味をしているなんて、想像だにしなかった。
人間の一番つらい拷問は、無意味なことをするから始まった内田さん評論は、岡田斗司夫の評論の仕方に少し似ている気がした。
まずいなぁ、面白い評論だと、感想が陳腐化する。
人と人とがコミュニケーションを取ることは、タイトルにある通り、「交換は愉しい」だ。情報を交換すること、自分にとって新しい情報を手に入れることもまた愉しいが、
相手が自分が思っていることと同じことを思っていると確認するのもまた愉しいことなのだと教えてもらった。
鹿高の生徒さんたちは、こんな恋愛観を技術として頭で理解するなら、(素直に受け取れるなら)高校生の頃からスムーズな恋愛が出来るだろう。
言われてみればそうかもしれない、程度の学問でも、言われるまで気づかなかったなら、自分では知り得ないことだし、
その程度の発見が、その程度の発見の積み重ねが、勉強の楽しさだと思う。
キリストが打ち出した「愛」という抽象的な概念を、研究して分解して広く皆に分かりやすく教授することは、現代の学者なら皆がやって欲しいところだ。
愛の正体がわからないから皆が喘いでいる。
それがわからないのは、勉強をしていない者の盲目さと言ってしまったら寂しい話だ。
勉強している者だけが知り得ることなのかもしれないが、勉強する時間がない人にでも伝わるように、知識が浸透していけば、世界はもっと住みやすくなると思う。
こうなってくると、是非ベーシックインカムを実現して、皆が均等に勉強する時間を手に入れて、もっと人にやさしくなれる世界になったらいいなと思う。
勉強して学んだなら、これを広く広めなければならないと思ってしまう僕だが、僕程度の広報力ではたかが知れているが、自分の周りだけでも、
この愛の正体の一片でも教えることが出来たなら、その人の生きづらさを少しは解消できるかもしれない。
内田樹さんも良い文が書ける作家として、知ることが出来て良かった。
自分に自信がないとここまでの文は書けない。手探りでないところがカッコいいが、いささか高校生を舐めている部分もあって、
それでも読み物としては全然合格点をあげることが出来る。
多分敵も多いと思う。でももし敵が出てきても打ち倒してしまいそうな強さと自信がある人だから、容易に傷つけに来ようとする者もいないだろう。
たくさんの本を読んでいることもうかがえて、評論というものはこうやってやるんだ、の上位のものを見せられた気がする。
自分の考えがしっかりある人の文章は読んでいて気持ちが良いものだ。
勉強が出来るのもある意味、それだけ時間が作れるという人の特権かも知れない。
今僕が勉強できているのは、障碍者でニートをやっていていいよと言われているからであって、これが働きながらの勉強だったら、満足に勉強は出来ない。
このまま逃げ切れるといいのだが。内田樹さんの文を読んで思ったが、悪口でも皮肉にすれば一段階テクニックがついてただの悪口ではなくなるのがわかって、
皮肉であれば相手に考えさせるクッションがついて良いのかもしれないが、でもやっぱりよく考えると悪口を言っているのには変わらないから、
頭のいいひとの悪口は解りづらいというだけで、その分ダメージも深い。