柳 真佐域ブログ

好きなものを好きなだけ語るのだ

有益なる子供部屋おじさんについて

子供部屋おじさんとは、実家の子供部屋で暮らす成人男性の事。

 

中年・中高年になっても親元から離れることなく精神的・社会的に自立できていない人というネガティヴな意味で使用されるケースが多い。

 

ネット上でこのように馬鹿にされ、いつまでも実家にしがみついている自立が出来ないダメな奴というイメージが、「子供部屋」と盛大に皮肉った見事なスラングだろと思う。

 

まさに、僕のことである。

 

僕は20代前半の若い頃に実家を出て、会社の近くのアパートに一人暮らしをしていた。

 

何故一人暮らしをしたかというと、実家での生活にうんざりしたからである。

 

小さい頃から喧嘩の絶えなかった両親に、心底うんざりしており、高校時代に夢見ていたファッションの専門学校に行く資金を出してもらえなかったことから、

 

家族の溝は克明になり、就職し、一人暮らしの資金が溜まった頃には、家を出ていた。

 

一人暮らしは自由だった。いつ寝ても、いつ食べても、いつ本を読んでも、咎められることもなく干渉されることもない。

 

唯一の難点は掃除がめんどくさかったことだが、それも月に何回か時間を設けて、自分なりにやるだけで清潔は保てた。

 

友達を呼んで深夜遅くまでアニメ談議に熱を出し、そこから派生した聖地巡礼のための計画を立てて、本当にやりたい限りをやっていた。

 

仕事には馴染めず、不満も募っていったが、それが毎週水曜の集会と、週末の楽しみがあるから耐えることが出来た。

 

その他にも、若さのエネルギーを持て余した僕は、地域活性化活動に精を出したり、そこから縁のあったよさこいソーラン節チームの『勢や』に入り、大会に出て賞を貰うまでの功績を残した。

 

その頃、彼女も出来、このまま交際を続けて結婚出来たら、自分の夢にまで見た温かい家庭が築けると思っていた。

 

しかし、そうはならなかった。友人とは僕が彼女が出来たことから、関係に歪みが出来、今でも思い出すのが嫌な大ゲンカをしてしまったし、

 

地域活性化活動も軌道に乗らず、代表と大ゲンカをして、その頃やっていたグループ初の大きなイベントを失敗に終わらせ、それを機に自分でけじめをつけて、グループを辞めた。

 

勢やもチームの実態を知ってしまい、自分の思うとおりでなかったから足が遠のいて、顔を見せなくなった。

 

それに加え、友人との喧嘩の発端が僕と僕の彼女のことから、彼女からも別れを告げられ、僕はショックのあまり、不眠症になり、そして統合失調症を発症した。

 

それからのことは掻い摘んでしまうが、僕は精神障碍者になり、実家におめおめと舞い戻ってきたのである。

 

それから僕の子供部屋おじさん生活は始まった。

 

当時、実家には両親が残っているだけだった。

 

僕は、壊れた心と体を、あれだけ嫌っていた実家で癒すことになった。

 

しかし、ここで事態が思わぬ方向に変わった。

 

それは、僕の心境の変化である。それも病気による精神状態の変化だ。

 

僕は、統合失調症を患い、世界と繋がるような全能感を覚えた。

 

それは、今でもたまに出ることがあるのだが、最初その症状が出た頃は、その力を持て余して、不安になったり、或いは周りが全て自分に好意を持っているのではないかと錯覚する症状だ。

 

そのお陰か、比較的口下手だった自分が、自分の思っていることを何でも話すようになり、(というか、自分の今の状態を説明するには言葉を尽くすしかなかった)その結果、家族で会話が増えて、両親との関係が上手くいった。

 

今では、一日一回母を笑わせることを日課として、楽しい毎日を送っている。

 

ここで、ようやくテーマである、『有益な子供部屋おじさん』についての話になる。

今僕は、家に一切金を入れていない。収入はある。それでもそれは稼ぎ出したものではなく、働いた後の残りカスと、補助金などだ。

 

それでも、母は嫌な顔一つ見せない。

 

それは、そう見せていないからかもしれないが、僕が感知する範囲では、母は父と二人暮らしに戻った時よりも、穏やかな表情をするようになった。

 

二人暮らしの頃は、食事にも気を遣わず、ある物で済ませていたそうだ。

 

それが、僕や僕の兄が帰って来るや否や、張り合いが出たのか、表情は溌溂としたものになり、若さを取り戻した。

 

それに、アスペルガーの父を一人で相手することもなくなり、それに愚痴がこぼせるというのは、女性にとって何よりの安らぎを得ただろう。

 

子供部屋おじさんには、欠点が多い。だが、こと険悪だった家族にとっては、そこを解消してくれる一緒にいて、物理的ではなく精神的にでも良いから、有益な存在になることで、ある程度、幸せになることは出来る。

 

父は分からないが、母は今の生活を幸せに思い、この穏やかさは、若い頃には感じたことはなかったと言っている。

 

僕が毎週末淹れるドリップコーヒーも、日々のちょっとした家事や、仕事を終えて帰ってきた時のおかえりなさい、今日一日のことを話し合う団らんの時間。

 

そういう今まで通り過ぎてしまったやれなかったことは、トラウマがある人間にとって、永遠に大切にしていきたい幸せを構成する要素だと思う。

 

僕は価値のある物は何も生みだしてはいない。

 

それでも家族を幸せにすることは出来ると、というか実際に家族を幸せにしている。

 

後は豊かになるだけなので、地道に活動を続け、金銭面の不安を取り除けたらと思う。