柳 真佐域ブログ

好きなものを好きなだけ語るのだ

I was born 吉野弘

これは詩なのかな。それにフィクションなのかが気になる。

 

最初ホラーな要素を感じたが、締めくくりがホラーのテイストになっていてゾッとした。

 

普通の親子(学がある)の会話というものはこういう知的な会話になるのだろうか。僕の父はアスペルガーなので、こんな相手のことを思いやって、額を授けようとはしない。

 

いつも自分が主導で、わからないことがあって聞いても、俺にはわからん!とつっぱねて、父から学んだことなど一切ないようにも思う。

 

もし自分が親になったら子供に物を教えられる親になりたいと思うが、自分自身体験として学んだことは少ない気がする。

 

大事な時期には家に籠ってゲームばかりしていたし、本文の蜻蛉の解剖を好奇心から友人とやる、みたいな体験もしてこなかった。

 

僕たちはどう生きるかの叔父さんのようになるのが夢だが、それにしては実体験が少なく、机上の上でしか勉強をしていない。

 

しかも勉強をし始まったのも最近のことだし、今子供にこれはどうなっているの?と聞かれても、スマホで調べてしまうのが関の山だと思う。

 

そうすると、昔の人は血の通った知識を持っていたんだなと思う。

 

今のようにスマホで簡単に調べられる、しかも文字と映像を込みでお手軽に、学者が調べたことを読むことが出来る。

 

しかしそれが果たして本当の学びに繋がるのだろうか。

 

もっと悩んで自分で解決したものにこそ、本当に知恵とか知識として身に着く、というのは老害的な考えだが、スマホで知った情報を子供に自慢気に(じゃなくても)教えるというのは、気持ちの上でかっこよくないと思う。

 

体験から学んだものは確かに人生経験として心に残り続ける。

 

そういった体験を話せる機会も限らてくる。その限られた貴重な機会に、本文のような教えを授けることが出来たなら、それは好い学びだと思う。

 

それにこの本文を読んで作者の人間性、父親の人間性が気になった。愛や美しさ、生命讃歌を題材にしているのに、方や残酷な描写もあって、それを主人公はある種トラウマに思っている。

 

自分の出生を知った時の彼の心境を考えてみると、一冊の小説が書けるくらいいろんなものが駆け巡ったに違いない。

 

これが詩として作ったものなら、それはそれで、創作力があって、素晴らしいと思う。良い文を読むことが出来た。

 

僕も部屋に籠ってばかり勉強していないで、外に出た方が良いと思うが、今更外のものに触れあうことも怖いし、名著の解読をしているだけで人生終わってしまうと思う。

 

でも、中身のある人間になるということは、外に出て体験を積んだ人のことだとも思うし、頭でっかちにならずに、学んだことを外で消化できるようになったら、学びのレベルはまた一段と上に行ける気がする。

 

コロナの影響で外には出れないが、こういう実体験を積んでいくように、カメラでも買って、無理やりにでも外に出るようにしたい。

 

あとはバイクを買って機動力を着けて、体験重視の学びを深めていくもの悪くないと思う。