僕と本との関係
僕は本が好きだ。
本を読むようになったのは、中学校の朝のホームルームの時間に、読書の時間というものがあって、それできっかけを得て、本の魅力を発見し、虜になった。
最初に買った本も覚えている。
僕には二人の兄弟(姉と兄)がいるのだが、二人は僕よりも先んじて本の魅力にハマっていった。
二人が当時読んでいたのは、同じくガンダムのアナザーストーリー、『コロニーの落ちた地で…』やサガフロンティア裏解体新書だった。
今を思えば親の愛を一身に受ける三男で末っ子の僕を、二人は憎らしいと思って仲間外れにしていたのだろう。
僕は、小説の話に盛り上がる二人に追いつきたいばかりに、背伸びをして二人が全く知らない閃光のハサウェイを購入したのを覚えている。
しかし、本を開いてみても、内容はさっぱり入ってこず、難しい本という印象すら受けず、この本は自分には読めない本なんだとその時深く思い知った。
中学生の僕に、というより読書経験の浅い者にとって、富野さんの文は非常に難解さを極める。
僕はそれ以降、閃光のハサウェイは学習机の戸棚にしまい、姉に正直に僕でも読める面白い本はないかと訊いた。
その時、姉が勧めてくれた本は、宮城谷昌光の『太公望』だった。
今思うと、それでさえかなり重い本なのに、姉もよく勧めてくれたなと嘆息する。
ハードカバーの分厚い太公望に対し、不思議と苦手意識は全くと言っていいほどなかった。
僕よりも多読だった姉が、どうして『モモ』や『はてしない物語』などを勧めなかったのかはわからない。
それでも、太公望は確かに面白く、僕は本にのめり込んだ。
読書の時間以外にも、休み時間になったら続きが読みたくなったし、友達との遊びをそっちのけにして読書に耽った。
しかし、当時友達=自分たちの世界だった中学生の僕は、結局友達を優先して、休み時間になったら遊びまわる、普通の男子になっていた。
それから、時は高校生へと流れる。
高校生になったばかりのとき、僕は友達が一人もいなかった。
それもそのはずで、僕の中学から栃木工業高等学校に進んだ生徒は(僕を含めて)2人しかいなかった。(それもクラスは別々)
全く知り合いのいない気分を味わったのは、中学1年生の時以来だった。
それでも、近くの席のモリワキとの出会いもあったし、少しずつだが話す相手も増えてきた。
一番話す相手が増えたのは、1学期の中間テストの後だろう。
僕は苦手な数学で、98点をとった。
数学の先生からは褒められ(学業のことで誉められたことなど一度もなかった)、クラスメイトからはもてはやされた。
それを機に、僕はクラスのカーストの上位に位置付けることが出来た。
まぁ、一度いい点が取れてしまったら、その後は想像通り、勉強しなくてもいい点が取れると高をくくり、その後は酷い点ばかりとって親からも教師からも失望された。
それでも、カーストとは1.5軍くらいの位置に収まり、楽しい日々を過ごしていた。
だが、その楽しい日々も長くは続かなかった。
その当時、僕等の間では賭け大富豪が流行っていた。
休み時間となれば、枚数を減らして2枚だけの手札で、ファースト大富豪をして、一回100円の賭け事をしていた。
時には10賭けといって、1000円を賭けることもざらにあったが、僕はその時、負けに負けた。
運というものの存在を一番に感じた時でもあるし、今思うと僕らが負けるように勝ち組の子たちが純粋にラッキーアンラッキーを求めず、戦略的に図っていたのではないかと思ったりもする。
そんなんがあって、僕等の仲に歪みが生まれた。
まだ、僕の一人負け出なかったから良かった部分はあったが、事件は起きた。
大富豪でヒートアップする仲間たちは、僕が待ったをしたのを許さなかった。
僕は出した札を引っ込めたかったのだったが、それを出したら負けが決まると判断したので、待ったを宣言したが、勝ち組の子たちは、確実に勝つために僕の待ったを許さなかった。
当時僕は、アルバイトをしていた。
つまり、アルバイトをしてまで、賭け大富豪の資金を稼いでいたのだ。
まぁ、大富豪をするためにアルバイトをしていたのではないが、僕のアルバイト代は勝ち組の子たちの財布に吸い込まれていった。
そこで、フラストレーションが爆発した僕は、待ったが効かないならもう辞める!と宣言して、机の上に一万円札を突き付けて、その場を去った。
ここが笑えるのだが、後に一万円から僕の負け分を引いたおつりが、僕には手渡された。
つまり、金は欲しいけど、お前はいらないという返答だった。
僕はそれから一人になった。一人の学校は本当につまらなかった。
毎日が退屈でやることもなく、刺激に満ちていた友達との交流が他でも出来るはずもなく、僕の青春時代は暗黒に染まった。
そこで僕は、久しぶりに本を読んでみることにした。
アルバイトで金だけはあったから、今度は見栄を張らず、好きな本を好きなだけ買った。
最初に読んだのは、金城一輝の『レボリューションNO.3』だった。
本の中に出てくる主人公たちゾンビーズは、まさに僕が思い描いたような青春をしていた。
それから本を読みまくる生活が始まった。
休み時間はもちろん、つまらない授業のときは机の上で本を開いて読んでいたこともあった。(もちろん首根っこを掴まれ教室から引き吊り出された)
その教師へ反省文を書いている時も、「授業より本の方が面白くて読んでしまいました」と書く始末。僕はどんどん人から見放されていった。
それでも、本の魅力は変わらず、そして運命の本と出会った。
あの感動は、その後統合失調症を発病して一切の記憶が無くなったにも関わらず、自分の中に残り続けていた。
一人暮らしをして、その後死んでもいいと、身辺整理をした時にも手放すことは決してできなかった。
そういえば、一人暮らしをした時に、本を読むのを辞めてしまった時があった。
面白い本の選び方が分からず、面白い本を見つけられなかったからだ。
それでも、病気をして、今まさに勉強をする毎日で、本は欠かせない存在になっている。
今でも読んでない積み本は部屋にたくさんあるし、その本たちを読めるようになるべく、毎日本を読み続けている。
本中毒と見出しには書こうとしたが、僕なんかまだまだ本好きの域を超えないかもしれない。
それでも今は本がなくては生活が成り立たないし、一生本を読み続けたいと思っている。
僕の本との関りはこんな感じだ。