柳 真佐域ブログ

好きなものを好きなだけ語るのだ

わからないはおもしろい 木内昇

読み終えて調べたら、女性作家だったのか。だいぶ拗らせてるな。

 

終始可愛い印象がずっと付きまとった。

 

好感は持てたのだが、尊敬は出来ない、自分の及ぶ範囲にいる作家だと思った。

 

初めから終わりまで全部愚痴で、トークショーで青年に「もっとわかりやすい小説を書いてください」と言われたのが、そんなにショックで、ずっと傷心していたのが分かって、可愛かった。

 

宮崎駿に見せたら絶対、「そんなこと言っているんなら辞めてしまえ!」と怒鳴られると思うが、まぁ女性作家なら、そんなこともないか。

 

わからないがおもしろいというタイトルで、初めは何かと思ったら、私の小説はあなたみたいな短絡的な人には理解が出来ない難解なものなの!そうなの!

 

という子供じみた喚きで、高尚ぶりたいのなら致命的な評論を書いてしまって、世の高校生たちに恥部を曝しているなと笑ってしまった。

 

分からないを調べていくのが面白いというような、岡田斗司夫のような知的な印象は全くなかった。

 

作家としてはがっかりだが、女性としては可愛げがあって良いと思うが、これを良いと思うのは、他人を見下す僕のような人だろうから、

 

僕が姉に対して抱いている、この人拗らせているけど、貰い手いるのかな(いたけど)と心配になるような可愛気だと思う。

 

ハーロックが大好きなところとか、である、のだなどの断言する言い方を使っているが、主張したいことはあまりまとまっていなく、結論部の厚みも薄かった。

 

結論が薄いと、人間的にも薄っぺらい感じがするのと、全体的に作家としての言いたいところが、至らない人だなぁという印象もあって、常に手中に収まっている気がしてならない。

 

この人の小説を読んで完璧に考察できてしまっても、多分それはそれでショックを受けて、私の小説がこんなに簡単に読み解けてしまったのかと、落胆する思う。

 

まぁ迷いなく書くということは作家として最も難しいことの一つだと思うが、もっと自信をもって、揺らがない精神を持っていないと、書いていて精神的にいつも辛くなると思う。

 

ただこうやって揺れている気持ちを素直に書いて、新聞に掲載する勇気は好感の対象となって、好いと思う。

 

描いた作品のタイトルを見るに、やっぱりかなり拗らせているのが分かるが、地の文はこんなに素直な人なんだから、悪い人ではないのだろう。

 

「もっとわかりやすい小説を」と青年に言われ、江戸の胡蝶の舞を思わず苦し紛れに言ってしまうあたり、かなり拗らせている。

 

拗らせている女性を可愛く思ってしまう癖があるのかな、僕。

 

未知へのワクワク感より、私の小説が分からないんじゃ、まだまだ人生楽しめるよと言っているのだと思うと、やっぱり至らない。

 

伝統芸能の方々を引き合いに出しても、自分の浅ましさは隠しきれないし、僕みたいなひねくれた読者からすると、自分の傷心を晒して同情を買おうとしているようにしか見えない。

 

男性に対しての強い憧れもあるし、作家としてもっと高みに行きたいのもわかる。

 

けど、こうやって懸命に頑張っている人を横目に、才能のある人は一段ぬかしで先へ行ってしまう現実もあるだよな。

 

可愛いと同時に可哀想にとも思ってしまう。頑張れ。