柳 真佐域ブログ

好きなものを好きなだけ語るのだ

生きる意味~グローバリズムの「遠近感」~ 上田紀行

f:id:neocityproject:20200908141850j:plain

ん~言っても仕方のないことだと思うし、だからってどうしたらいいかは教えてくれないのね。

 

現代の学者の書く本程度の媒体で、導いてくれるとも思ってはいないが、結局のところ、それじゃぁ皆でこの問題について考えてみよう。というだけで、結果何が残るのだろうと思う。

 

何かを考えた、という事実だけが残ればいいのかな?

 

こういう問題定義をすることで、それについて個人的に深く考える人が政治家になるのかと言われたら、そうではない気がするし、政治家になる人は世襲制か、何らかの縁があったからと思うわけである。

 

一人の学者が言った事柄程度で人生を決めてしまおうという方が無理があるか。

 

こういう問題定義は、もちろん必要なことなんだろうし、教科書を一冊、高校生に向けて作ると言った際に、一つは挟んでおかなければならないのだろうが、面白くなければ覚えてすらもらえない。

 

世界の遠近感に対する問題は、確かに現代に行くにつれて浮き彫りになり、9・11でそれが一気に爆発した印象を受ける。アメリカにしたら自国が初めて攻撃を受けたことで、

 

それまで外国のことだと思っていた事でも、実は自分の国が主導で関わっていることを知った事件でもある。

 

でもだからって今更人々は土に還るような生き方を選択できないと思う。

 

出来ないと割り切ってしまうのは早計だが、そういう生き方を他所に、貴重な体験の一つとして、場を大切にするという生き方を選択している人が多いように思う。

 

もう自国の一次産業自体が遠近感のある問題だし、それを今更考え方を変えるには、なにか違うベクトルからのアプローチが必要だと思う。

 

一次産業に関わることがすでにハードルが高いものになってしまっているし、そんな覚悟をするよりかは、片手間で、しかも好きな時に参加できる程度に、間口が広くないと参入するのは難しい。

 

ふるさと納税クラウドファンディングのような、投資型の参加の仕方がベストな距離感なんだろうなとも思う。

 

わざわざ国際問題みたいに考えて、9・11を引き合いに出さないでも、国内のことでさえ遠近感があると言っておきたい。

 

現在の日本は、まだ戦争に行った人がご存命で、その人から話を聞いたり、その人自身は遠近感のない身近な問題に感じるかもしれないが、これから先の未来では、

 

戦争を体験した人がいなくなり、だったら戦争に行く選択肢もありなんじゃないかと思う世代になってきて、憲法改正なんかもされるんだろうと思う。

 

それを覚えている人がいるうちは、その人の目を感じて、待ったに意識がいくけど、人間は忘れるものだし、現代人は空気を読んでしまうものだから、上手く多数決に持っていかれたら、乗せられてしまう人も多いと思う。

 

現に僕自身、戦争でもない限り自分の人生はひっくり返らないと思っているし、どうせ参加も出来ない身の上なので、結局他人事だ。

 

国外のことを国民に考えさせなければならないというのは国民の幸福とは違う気がする。

 

グローバリズムに世界と関わることは大切だと思うが、それが出来るのが国民の何%くらいなのか。

 

それともこれから先は、国民の大半が外国人と関わる産業ないし関係を作っていかねばならないのだろうか。

 

僕が生きたこの30年で世界は急激に変わっていったと思うが、そのどれもが自分とは別の軸線上で動いているように思う。

 

スマホの普及みたいに、外国語がもっと一般レベルに分かるようにならないと、国際的な話にはついて行けない。

 

故に特権階級だけが扱えるものだという印象が深いし、身近な問題に感じられない。だって外国人怖いもん。

 

平気で盗みとか出来ちゃう人と一緒に仲良く暮らしましょうって言っても無理がある。

 

日本人でさえシェアハウスに住むのにかなりの抵抗があるのに、自分と同等の収入を得ていて、社会的立場もある人だったら、価値観も近くなるかもしれないが、

 

その人がどんな環境で暮らしてきたかによっても、価値観は変わってくるし、文化の歴史というものもある。

 

日本人凄い、日本人偉いとは言わないけど、日本に住んでいるからこそ、人一倍安心したいと思っている。

 

障碍者となった身の上だが、やっぱり収入がない人とは生活の仕方が合わない。

 

お金がある方が選択肢が広いという事実はいつの世も変わらずあるし、それは評価経済が進んでも残る問題だと思う。

 

近々のことでさえ儘ならないのに、海外のことも考えてくださいっていうのは無理がある。

 

関わっている人からすれば、ゆゆしき問題かもしれないが、関わっていない人からすれば、余計なことをするなだ。

 

とはいえ、世界はグローバルになってきていて、それを止めることは戦争でもない限り出来ないだろう。

 

人と人とは分かり合えないものだと、個人レベルではわかっても、それを世界の仕組みや関係性には直結させないというのも横暴だと思う。

 

隣近所と仲良く出来ないなら、海を隔てた外国の人達と心を通わせることも出来ない。

 

生理的に嫌悪している部分もある。人間は美しいものしか好きになれないのだから、そういうのは政治の世界ではなく芸能の世界で繋がるべきだと思う。

 

芸能こそが国際的な垣根を超えてくれると思っている。

 

翻訳であっても海外の作家の書いた物語を読んで見たいと思うし、そこの時点で、相手を分かってあげたい、分かりたいと思うことは純粋に善だと思う。