柳 真佐域ブログ

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挨拶を返さない上司と仲良くなる方法

ストレス社会で生きる社会人必見のこのテーマで、今日は語ってみる。

 

挨拶を返さない上司と仲良くなる方法。

 

銘を打ったものの、自分でも苦笑してしまうこのテーマは、実際に自分が経験したことから考え抜きだした一つの結論です。 

 

まず前提を作りたい。挨拶を返さない上司は、存在してはいけない生き物の一つです。 

 

挨拶を交わすということはつまり、相手の存在を認識し合う上で、最も基本的で、最も簡潔な社会人としては常識中の常識的礼法です。

 

古来、中国の諸子百家でも、礼は重んじられており、思想家の中でも礼を欠いては、人間関係は成り立たないとしています。

 

孝悌という言葉もあり、(親には孝行をして、)先輩は敬い尊敬しなさいというお言葉。

 

しかし、挨拶を返さない上司というのは、その時点で尊敬に値しない存在です。

 

その他にどんなに良いことをしていても(していないのが常)、自分にとって自分の存在を認めてくれない相手がする功績など、屁ほどの役にも立たない。

 

では、何故上司はあなたに挨拶を返してくれないのか。

 

端的に、あなたが嫌いだから。あなたが目障りだからです。

 

何故その結論に至ったかというと、自分にも当てはまる節があるからです。

 

以前のブログで、僕が通っている就労移行施設に障碍者なのに、元気に、健気に振る舞って通うオバサンがいるということを話しました。

 

僕はそのオバサンについて、きっと引くくらい辛い思いをしているのに、健気に振る舞う嘘つきと思って見下しています。

 

おそらくこれに似たようなことが起こっているのではないか。

 

僕がドン・キホーテで働いている時、僕の上司は僕に挨拶を返しませんでした。

 

返したこともありましたが、その態度は他の社員とは比べられないほど、そっけないものでした。

 

働いている当初、何故この人は挨拶を返してくれないんだろうと思い悩みました。

 

自分は障碍者だから、人として認めてもらっていないんだと思ったこともあります。

 

実際ドン・キホーテ差別意識の高い職場でした。

 

そんな中、毎日健気に挨拶をし、規則正しく仕事をする僕のような存在は、疎まれていたと思います。

 

自分に落ち度はなく、仕事も言われたことをこなし、その上で他の部署への手伝いに行ったり、店長から雑務を頼まれて、出来る限りの助力をしたつもりでした。

 

しかし、その勤務態度こそ、その上司を苛立たせる原因だったのではないかと、今思い返します。

 

他の部署の手伝いをするということは、自分の担当の部署の仕事が終わったということで、ということはあの部署は人手が余るほど暇な部署だ、と他の部署に触れて回ることと同義だということです。

 

良かれと思っていた行動が、実は一番やってはいけないパターン。

 

更に、僕の勤務態度というと、正しいことは正しい、間違っていることは間違っているし、足りない部分は補足する。

 

そんな中、言いたい事はっきりいうものの、接客業という未体験の職種に、付け入る隙は余すほどあるから、上司はそういう細かい不手際を見逃さない。

 

ということで、「こいつ、実力は大したことないのに、口だけは達者で扱いづらい」と上司は思ったでしょう。 

 

そんな自分が認めていない部下から、社会人の基本的な礼を求められても、「わたしはあなたのこと認めていませんから」という態度をとる他ないのです。

 

だからこの場合、挨拶を返してくれない上司に挨拶を返してもらうには、『仲良くなる』他ない。

 

そんな上司と仲良くなる必要はない! あなたは悪くないのだから、元気に挨拶を続ける、もしくは挨拶をしなくてもいい! と考える人は、ここで読むのをストップしてもらって構わない。

 

ここからは、そこから先の裏技の話だから。気高いあなたたちには必要のないことです。

 

さて、この裏技。いくつか方法があるが、一つを教えます。

 

それは、『弱みを見せること』

 

正義感が強く、自分は悪くないのだから、相手を屈服させたいと思っているあなたは、どうぞ腹を据えて殴り合って下さい。

 

その先にあるのは、互いを傷つけ、揚げ足を取り合い、醜く血みどろになって戦う闘士の姿があるでしょう。

 

そうではなく、その職場にいることが、自分のプライドよりもっと重要で、立場なんかもかなぐり捨てる勇気のある人は、その方法について考えてみてください。

 

弱みを見せること。これすなわち、容易く殺せると相手に思わせること。

 

侮られることを何より嫌っていた人にとっては、苦渋の選択でしょう。実際僕は出来なかったし、出来ていません。

 

ただ、上司ではなく友人にならその片鱗を見せています。

 

以前のブログに、僕の友人には悪性にこそ愉悦を感じる人の道から外れた友がいることを書きました。

 

僕は彼との付き合い方こそが、この上司をクリアする糸口と確信しました。 

 

僕の友人は、人の弱みを握りたがります。

 

そんな彼に、僕は自分から弱みを差し出すことで、信頼を得ています。

 

具体的に言えば、共通の友人の悪口を言ったり、自分の秘密にしていた恥ずかしい過去を告白したりすることです。

 

何故それをするのかというと、それをしないと関係が続いていかない予感があるからです。

 

もっというと、そこまでしても関係を続けたいメリットが彼にはあるからです。

 

いつでも殺せると思わせることで、敵に回る危険性を減らそうとするというのは、悪にとっては常套な手段です。

 

彼らの処世術の中で、いかに敵を敵じゃなくするか、という思考がありますから、そうなった時、こいつは敵に回るはずがないと彼らは思いこみます。

 

それに、いつでも殺せるとナイフをチラつかせているその瞬間にこそ、彼らは愉悦を感じます。

 

自分の方が上手である。俺は上、お前は下だぁ!ってとこですね。

 

もう一つ彼(友人)にしていることがあります。

 

それは『絶対服従を決め込むこと』です。

 

僕が何故それを彼に対して出来るかというと、彼の方が圧倒的に勝っている部分があり、それはこれから先(未来は未定だが)、追い越せないと確信しているからです。

 

悪人も悪人するだけあって、積み重ねた悪行は、ただでは看破できません。

 

それ相応の代償を払っているだけあって、正攻法では太刀打ちできないほど、彼らは色んな武器と手段を持っています。

 

そこへ裸一貫で向かっていくのは、向こうからしたら、馬鹿以外の何物でもないし、その向こう見ずな態度こそ、悪人が一番怯える無謀さであります。

 

善人にとってはそれを勇気と捉える人もいますが、悪からすれば、負けるのが分かっているのに特攻してくる神風のような玉砕アタックは、理屈に合わない非常に厄介なものです。

 

そこで、絶対服従をすること。つまり、私はあなたの味方ですよ、と宣言することは大きな意味があります。

 

味方になることは、自分も同じ悪人になるということではありません。

 

もちろん、そう出来てストレスがないならやってもらって全然かまわないのです。

 

ただ、自分のプライドも捨てきれない、プライドというより生き方、アイデンティティを揺らがせることは出来ないという人に、悪人になれとは言いません。

 

悪人にならずとも、彼らに敵対しませんよ、と意思表示を見せればいいのです。

 

これが多分、あなたが出来なかった一番難しこと。

 

僕はこの一番難しいことにこそ、あなたたちの活路があると思っています。

 

悪の立場に立たず、悪の理屈もわかる人。

 

時には悪に与することもあれば、悪を助けることは決してしない。

 

それでいて悪を諫める立場にあり、それも悪に許される立ち位置こそ、あなたたちの目指すところではないでしょうか。

 

悪は一朝一夕には育ちません。悪との信頼関係もすぐには出来ないものです。

 

秘密を持ったり、弱みを共有したり、悪とは悪の付き合い方があります。

 

これは自我の強い人にこそ科せられた修行です。

 

悪と共に生きるほかない人のために、ここに記しておきます。