柳 真佐域ブログ

好きなものを好きなだけ語るのだ

情報について

情弱という言葉を聞くと、差別的な言葉と感じると同時に不安になる。

 

自分が情弱じゃないか、より正確に精度の高い情報を仕入れて、それを精査する力はあるのかと考えてしまう。

 

高度情報化社会の現代において、その人がどんな情報を持っているのかが魅力となり、武器となる。

 

例えば僕は岡田斗司夫のゼミのプレミアム会員になっているが、会費を払っている分、無料で視聴している人より、もっと突っ込んだ話が聞けて、楽しみが広がっている。

 

世の中には無料で楽しめるコンテンツが溢れているが、その中で質の高いものを探し出すのは、時間と労力がかかり、なかなか効率よく探すことは出来ない。

 

岡田斗司夫のゼミを知ったのは、宮崎駿について調べていた時、偶然にジブリアニメの解説動画を見つけたのがきっかけだ。

 

本当に運が良かった。知識を深めるためにYouTubeを使ったことなどこれまでになかった。

 

岡田斗司夫の動画は大体長尺で、1時間を超えるものがざらにあった。

 

僕はそれを暇だったこともあり、毎日見ていたが、これは勉強なのだと思うようになった。

 

ゼミと名の着くくらいだし、岡田斗司夫自身、大学生以上の人に向けて、講義していると言っていて、気を抜いていると話に置いていかれることもあるが、終始わかりやすい。

 

多分、岡田斗司夫自身が、わかってもらうことが第一(あるいは幸せ)に思っているので、内容は難しくても、分かった気になれるのが、ゼミの魅力だ。

 

こういう楽しみを見出せるのは、お金があるからなのか。

 

以前、通っていたジムで、一回40万もするセミナーを受けてきたと言っている会員の人がいた。

 

40万もするセミナーを聞いて、幾ら儲かる(もしくは)儲かり続けるシステムの中に入れるのか?と疑問に思ったが、世の中には40万を払ってまで聞く話があるらしい。

 

ということは、やはりお金を持っている人が情報強者に成り得るのだろうか。

 

夢がないなぁ。(夢じゃなくてただ楽したいだけなんだけど)

 

岡田斗司夫の動画が理解でき、そのレベルでなければ楽しめないというのは、はたして幸せなことなんだろうか。

 

自分が成長していくのは楽しいし、わからないことを理解するのは手段が増えて、知らなかったときより快適に生きられる気もする。

 

でもその分余計な知恵が回ってしまって、知識と自分を取り巻く環境のレベルが一致しないと不幸な感じがしてしまう。

 

それよりも身近な事柄に一喜一憂して、ちょっとしたことにでも翻弄される人生の方が起伏も伴って、味わい深い人生になるのではないか。

 

人間、好奇心というものがあるが、基本的に知らないことは怖い。だから知ることを止められない。

 

知った先に幸せがあるかというよりは、知らないことが不幸になるという考えの方が重視されている気がする。

 

僕は世間話をする時に、つい新しい情報を提供しなければと思ってしまう。そうでないと自分に価値を見出せないからだ。

 

人は新しいものを知った時に、好い顔をする。

 

教えてくれてありがとうとまではいかないまでも、発見させて、あなたと話して為になったと感じさせることは、自分と接して良かったと思わせることに繋がる。

 

結局、不安なのだ。

 

情報を提供するしか自分に価値がないと思うこと自体が不幸なんだ。つい力を示してしまう自分の性格が嫌になる。

 

そうじゃなくて、普段からきちんと挨拶をするとか、笑顔を絶やさないとか、誰とでも仲良くするだとか。そういう当たり前のことをできる人間になりたいと思う。

 

でもつまらないことを話した時の、あの滑った感じが恐くて、怯えているんだと思う。

 

そういう小賢しいところが自分でも嫌いだし、その先に行くことが成長であり、幸せであることは分かっている。

 

日々のうっ憤をこうして文章にしていないで、もっと人と話さなければならないが、わかっていても出来ないんだなぁ。

 

それに価値のある情報ばかり提供していると、あの人は自分にとって新しい情報をくれる人という印象がついてしまって、次話す時に見えないハードルを、自分にもその人にも作ってしまう。

 

自分で自分自身を追い込んでいることは、早いとこ反省しなくてはならない。

 

要するに諸刃の剣だ。新しい刺激のある情報を提供し合えば、お互いにそれを期待してしまうし、普段から他愛のないことを話していればリスクは避けられる。

 

話題を増やすことは急務だな。それ以外のことを話せるようにならなければ、ネタは枯渇してしまう。

 

相手からもネタを引き出すこと、(そういう見方をしているから良くないんだよなぁ)もっと気軽に話してもいいような雰囲気を身に着けるのも考えた方が良いかもしれない。

 

案外詰まんない人と思われる方がちょうどいいのかもしれないが、それはプライドが許さない。

 

プライドなんて上げるだけ損なのに、何故にここまで上がってしまったのか。

 

面白い人、または情報強者と呼ばれる人も、そんなプレッシャーの中を生きていると思うと、強くなることはあまり幸せなことではないのかもしれない。

 

情弱、情報強者と区分しなくても皆が喘いでるのだろう。