柳 真佐域ブログ

好きなものを好きなだけ語るのだ

世界が自分中心に回っていないなら

ネットが普及した超情報化社会で、世界というものは自分の外側で回っている感覚が、付きまとうようになった。

 

ネットの世界には、我こそが世界の中心と思って高説を垂れる人を見て、自分よりも知識も努力も才能もある人たちがいることを知り、人生をかけてもそれに並び得ることが出来ないことが分かった今、日々の楽しみは自分なりの勉強をするだけになった。

 

だって、どんなに勉強しても、それを処理する脳みそのレベルが違うんじゃ、理解するスピードも違うし、資金力がなければ、資料も集められないし、縁に恵まれなければ業界のをことを知り得ることは出来ない。

 

人間は平等に出来ていない。一人一人が生まれてくる瞬間に、階級を振り分けられている。

 

生まれてきた環境、遺伝を超える努力なんて本当にあるのだろうか。

 

今期の朝ドラで「人よりほんの少しだけ努力するのが辛くなくて、ほんの少し簡単に出来ること。それがお前の得意なもん(才能)だ」というセリフがある。

 

才能を見つけることは大変なことだ。僕は自分に物書きの才能があるのではないかと思ったこともあったが、それは移り気なもので、

 

絶頂期以外はずーっとスランプを感じているように、たとえ出来そうと兆しを感じたものでさえ、続けていくことも大変なことだ。

 

宮崎駿は頑張るのは当たり前だという。頑張るのは当たり前、頑張ってもどうしようもない奴が溢れるのがこの業界なんだとインタビューに答える。

 

トップの業界にいる者でさえ、日々頑張り続けなければならない。

 

岡田斗司夫は毎週、岡田斗司夫ゼミが終わると、とても落ち込むらしい。

 

あれほどの人達でも、最前線を走るには頑張り続けるしかないと言っている。

 

才能がない人はその頑張り方がわからない。僕は物を書く時に、テクニックや形式を持って書くことをしない。

 

技巧的に書く方が、もっと楽に書けるのかもしれないが、この自分の想像だにしない未知の領域に入っていく感覚が、愉しいから僕は物書きが出来ると思っている。

 

世界が自分中心に回っていないなら、自分の出来る範囲で頑張るしかない。

 

頑張っても頑張らなくても生活は変わらないかもしれないし、もしかしたら変わるかも知れないという曖昧で薄明な未来に、挑戦はしていない。

 

自分の気ままに物書きをすること。これは単なる記録だ。

 

小説を書いているのも、小説家を目指しているというのも少しはあるが、今この時の、賭ける気持ちと文章を記しておきたいという気持ちから、日記のようにして物語を綴っている。

 

だから売れ線を考えることは出来ても、書くことは出来ないし、それでも評価は得たいから、Twitterで宣伝に精を出す。

 

爆発的な集中力みたいなのは、どんどんなくなっている気がする。文章の表現も、小説を書き始めた若い頃の方が、澄み渡っていて、それがどんどん劣化していくのを感じる。

 

すると、好きだった執筆活動が、どんどん出来ないものになってきて、つまらなくなっていく。

 

自分の才能を感じずに創作活動をしていくのは、何よりも辛い。

 

今はまだ小説よりも反応があるブログの方に精を出しているが、本音は小説が書けなくなって、苦し紛れにブログに逃げている。

 

何を書いても続けることだけである程度の反応がもらえることが分かって、止め時を見失っているのもある。

 

一つの記事に目安2000文字と設定しているが、それもキツくなってきた。

 

僕は自分が書く小説が本にしてもいい位面白いと自負している。

 

それでも、本にするには人気が出る愚か、PV数だって全然伸びないし、出版なんて夢物語だ。

 

もし出版にこぎつけられたら、世界に多少なりとも主人公感を味わえるかもしれない。

 

でも、仕事をしている時に比べれば、自分のやりたいことしかしていない今は、十分幸せを感じるものだ。

 

無職で障碍者な時点で、人間の最底辺のクズなんだろうけど、今の自分の方が昔の自分より好きでいれていることが凄い奇跡でもある。

 

今やっている勉強が、はたして何に役立つのか、別に役立たせるためにやってはいないし、小説を書くためのネタになればいい程度に思っているし、

 

既に僕は小説を書く為に自分の人生があると思っているので、小説が書ける限り、幸せでいられる。

 

友人からはまだ小説なんか書いているの?と言われるが、創作程、高尚で崇高なものはないと思っている。

 

きっと摂るに足らないどこにでもある人生の中で、唯一自分に才能感じることをやり続ける。

 

このことが自分の外で回る世界に対して、多少なりとも主人公感を感じる(自分がやらなければ誰にもできないことをやる)唯一の方法だと思う。

 

足掻いている時に何をするかで、その人の伸びしろは決まるという言葉もあるが、僕としては待ちの一手が一番望ましいと思っている。

 

しかし、幾ら待っても復調の兆しが見いだせない今、アウトプットよりインプットの量を増やして、吐き出せるならこういう場所でくだをまく。

 

最近酔っ払いの戯言のようなブログになってしまっているが、好きなことを好きなだけ語るために、ただ自分の指先が導くままにタイピングをして、とりとめのない話をしている。

 

しかし、Twitterとかでフォロー数が三桁でフォロワー数が万を超えているユーザーとか見ると、世界には抜け道がいっぱいあるんだなと思うと同時に、恨めしい気持ちになる。

 

一発逆転の方法なんてないものかなぁ。