柳 真佐域ブログ

好きなものを好きなだけ語るのだ

職が一つというのは心許ない

糖質子供部屋ニートおじさんのどうも柳です。

 

仕事を辞めて早一年。一応、就職というものを目指していますが、そのビジョンはもうかすかに薄れて、遥か彼方にぼんやりと見え……る?

 

障碍者の就職活動というものは、それはそれは大変なものです。

 

面接まで行くのが長いパターンと、面接当日に採用が決まるブラックなパターンがあります。

 

まず、面接に行くまでに身体の調子を整えるのが大変。

 

薬の影響で朝眠気が酷く残り、就労移行施設にすらまともに通えなくなるし、一日の活動時間が一桁だと、

 

時間があっという間に過ぎてしまって、気づけば病気をしてから7年経ってしまった。

 

昔は普通に8時間以上毎日毎日工場で同じようなことを繰り返して仕事をしていた。

 

その仕事では途轍もなくストレスを感じてしまって、自分はいったい何をやっているんだと日々自問自答して、くだらないつまらない何の価値もない日々を過ごしていた。

 

それでも月に25万くらいは稼いでいて、田舎のアパートで暮らすなら何の問題もない暮らしを送っていた。

 

でも、人間の一番の生きる意味は幸せであること。それが全くなかったあの頃は、絶望と言わざるを得ない。

 

僕にはいくつか人生の分岐点があって、初めの分岐点は中学の頃の、教師に手をあげた時かと思う。

 

生理的に受け付けない見た目をした担任を煽るだけ煽って、最後には自滅してしまったあの頃。

 

バッグの肩紐を掴んだ担任の手を、殴りに殴って拳の骨が痛くなるまで殴った。

 

その後、羽交い絞めにされて、首の両側に爪を立てて、首の皮を爪で掻き毟った。

 

「ぐぁぁぁぁ!」という担任の悲鳴と、爪には気持ちの悪いムニュっとした感触が残り、それの感触を拭うように冷たい水道の水で洗った。

 

分岐するというほど、選択肢があったわけじゃない。担任を虐めたその時から結末は決まっていた。

 

集団真理というのは怖い。いじめの主犯格に祭り上げられたときに、運命は決まっていたのだろう。

 

僕といういけにえを捧げることで、クラスの人達の担任を虐めたという罪は洗い流された。

 

皆今はどう思っているんだろう。なんとも思わず幸せに暮らしているのだろうか。暮らしているんだろう。

 

つまり人間は、罪なんて背負っていても何食わぬ顔をして幸せになれるってことだろうと思う。

 

日本人と西洋人との違いかもしれない。誤りを罪と感じる西洋人と恥と考える日本人。

 

罪は重ねても、恥は絶対にかきたくない日本人の性格からして、いじめはなくならないのか。

 

いや、それでもいじめは世界中で横行している。

 

話がそれすぎたな。職を失った今、自分の職が一つだけというのは、途轍もなく心許ないことではないかと、今日思った。

 

AIが世の中の仕事を変えてしまうというニュースがある中で、底辺バイトしか選択肢がない僕等障碍者が、本当に働くべきなのかとも思ってしまう。

 

まだ仕事を探せる段階ではないのであるが、コロナの影響もあり、本当に働くのが正しい選択なのかわからない。

 

もっと働くというものを考えた方が良いのかもしれない。8時間同じ場所で勤務することが正解であるとは思えない。

 

一個の職場がだめになったら人生が終わってしまうなんてそんなリスク抱えるべきではないと思う。

 

それに家にいても出来る仕事をしている人がいる現在、わざわざブラックな企業で働くことは愚か以外の何物でもない気がする。

 

選択肢を増やさねばならない。自分に出来ることはあるのだろうが、それが何なのかを今のうちに見つけなければ。

 

岡田斗司夫はこのコロナ戦争でパラダイムシフトが起きると言っている。引き返すことの出来ない文明の発達が起きるとしている。

 

いつも考える。そこで何をするか。今そればかり考えている。

 

自分の限界は既に知れた。これからの発展しうる振れ幅の限度も見えてしまった。

 

生き残れる人しか生き残らない時代なら、早々に諦めて世捨て人になりたいところだが、生きている限り、この苦悩は付きまとうだろう。

 

障害年金がなくなったら、一人暮らしして、生活保護を貰おうかとも考えている。

 

どうしてこんなに生きづらくなってしまったのだろうか。後悔は先には立ってくれない。

 

勉強が出来る楽しさを見出すことが出来たけど、それだったら普通に生活出来るように、辛くても死にたくなったとしても、あのまま働いて給料をもらっていた方が良かったのだろうか。

 

Soarという社会的弱者の人達にインタビューをした記事が掲載されているサイトがある。

 

そういう物を見ると、自分なんてまだまだなんだなと思ってしまうけど、自分の人生は自分しか実感できる人はいないのだから、自分が一番つらいと思ったら、辛いんだよ。

 

今より辛くなろうと思って行動する人なんていないんだし、落ちてしまったら今が一番辛い時なんだ。

 

これから上がっていくビジョンは見えない。上がっていくにでもちょっとずつの積み重ねだと思う。

 

真面目にやっていたら、時間は人よりかかるだろう。

 

でも裏技が見つかったとしても、それを信じられるようなハートが自分にあるとは思えない。

 

自分のことで手一杯だし、自分の後のことなんて考えられない。

 

でも今頼りにしている両親もいずれは先に行ってしまうし、そうなってきたらいよいよ今よりも下の生活を味わうことになるんだろう。

 

健やかに生きていける気がしない。結婚でもすればまた何か変わるのだろうか。

 

今は自分に出来ることを精一杯やって、それでダメならすっぱり割り切ってしまおうと思っている。

 

少しでも生きていく時間が伸びていくように、思ったことを記しておこうと思う。