柳 真佐域ブログ

好きなものを好きなだけ語るのだ

銀河鉄道の夜

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なんて美しい悲しく寂しい、そして優しい物語。

 

見ている世界が綺麗過ぎる。

 

心の中が純粋じゃないと書けない。手法とか技術とかじゃなくて、情景が美しくも寂しい哀愁に満ちている。

 

物の見方とか一人の気持ちとかが痛いほど伝わるんだけど、全然嫌味じゃなくて、俺も、俺も隣にいるぜ…!って言いたくなる。

 

死んでいるのが惜し過ぎる偉人。

 

フォア文庫銀河鉄道の夜を読んだ時は、何も感じなかったのに、今はじめてに近い感覚で宮沢賢治を読んだ時、その自由な世界とどうしようもない孤独が胸に刺さる。

 

深く心に残る物語。今この本に出合ったことは確かな意味が、あると思いたい。

 

美しい物語が書きたくて、日々創作に打ち込んでいるが、全然下位互換でしかない。

 

もし作家を目指す前に読んでいたら、全てが模倣になって、多分作家を目指すことは思いもしなかったと思う。

 

しかし、こんなに素晴らしい作家がいたことを、この歳になるまで知らなかったことを、深く恥じる。

 

今まで読んだのが小説だとしたら、宮沢賢治は純粋な物語を書いている。

 

それは起承転結を着けなければ物語ではないという、今の小説にはない、本質的なものを感じる。

 

今まで読んできたのは、盛り上がりがあったり、キャラの癖とかに味を感じていたけど、もっと根源的な物語ってしか分類できないくらいの凄みを感じる。

 

美しさだけで言ったら、宮崎駿も超えていると思うし、宮崎駿でも描けない領域に、怖いくらい感性が震える。

 

良い本に出会えば良い作家になれるというわけではないだろうが、この出会いは僕にとって、晴れた空の下で稲妻に打たれたような、世界で最も美しい瞬間に遭遇したような、強く眩しくも暗い、それこそ世界に直面したような衝撃が貫いた。

 

ふと休憩を挟み、新たな編を開いた時、暗い透明な海の底に、息を止めて潜るような、覚悟と緊張に包まれる。

 

それが終わる時、ふっと切ない名残惜しさが残る。

 

これが生前評価されていなかったなんて、涙が湧いてくる。

 

まだ途中なのにため息しか出ない。読書に一番熱中していた学生時代に読んでいたら、今よりも本を好きになれていなかったかもしれない。

 

もしかしたら随分と貧困だけど、純粋な感性になっていたかも。

 

高校生とかの時に、宮沢賢治が好きだって言って、笑われた人はいっぱいいると思うけど、全然君たちの感覚は正しいからって、胸を張って言える。

 

純粋な頃に純粋なものの味が割るのかは別だけど、その子たちが大人になるまでに、振り返って宮沢賢治の美しさを心に残しているんなら、それはやっぱり正しいってわかると思う。

 

太宰治の暗さより、宮沢賢治の暗さのが全然共感できる。

 

ずっと現れるのを恐れていた僕にとっての一番にふさわしい人……いや、まだ濁していたい気持ちが強い。

 

宮沢賢治の世界に浸ること、既に染まってしまっている僕に間に合うかな。でも新たな扉があいたのは間違いない。

 

宮部みゆき北方謙三は、一番に尊敬する人だけど、宮沢賢治はやっと見つけた目標になる人。

 

自分の進む行き着く先に、宮沢賢治がいたらそれが本懐だと思う。

 

こんなに感動しているのに、本を読まない人からしたら、なんでもないことなんだろうなぁ。それが悔しい。

 

自分の知っている一番美しい色を想像して、物語に出てくる色を当て嵌めて読みたくなる。

 

僕はあまり本を読み返したいと思わない方だけど、宮沢賢治の文は刻み付けたい。

 

暗唱して知らない人に知ってもらいたいくらい好きになっている自分がいる。

 

シグナルとシグナレスに入って恋愛が絡んできたからか、急に性癖を感じた。

 

マリヴロンと少女は、全作家の指針となる編だ。「正しく清くはたらくひとはひとつの大きな芸術を時間のうしろにつくるのです。」は強く僕を助け、その後のマリヴロンとギルダのやり取りは、深く胸に刺さった。

 

銀河鉄道の夜の完成度には唸るが、一番好きなのはよだかの星

 

ゴーシュ、あぁ、ゴーシュよ。君は優しい人。飢餓陣営はクスッと笑える。

 

ビジテリアン大祭のこの時代にどれほどまでに知っているんだと驚嘆させられ、最後に随分なものをぶっ込んできたなと驚かされる。

 

彼の才能が計り知れないと言わざるを得ない。

 

注解より先はほかの作品のネタバレがあるので、まだ読まないことにする。

 

宮沢賢治の独りは現代の仲間外れの一人より、人のいない田舎でたった一人で、昼は生きるために畑を耕し、くたくたになってから夜、物語の世界に入って、刻々と綴っているような、傍らにいるのは、虫や小動物、そして満天の星といってような独りを感じる。

 

宮沢賢治は息をするように物語を綴っている。

 

そこに普通なら垣間見える創作の苦悩や傲りは一切感じられない。

 

それは他人の感性を挟まずに、自分だけの物語が書けていたからだろうか。

 

文字を通して、この本が生きているんだと感じる。

 

ドクンドクンと鼓動が激しかったり、血潮を感じるようではなく、ただトクントクンとゆっくりでも早くでもない、ただ静かに脈を打っている感じ。

 

願わくば人生のどん底で、何もかもに絶望していたあの頃に出会いたかった。